2008年03月14日

環境的な不安

この仕事で避けて通れないのが
他人様のお宅へお邪魔する事である。

利用者やその家族を知るのに
在宅の様子を見ることは、非常に大切な事である。
物事の原因や背景
利用者の言動の要因など
在宅には、キーワードになるものがたくさんある。

自分達の介入による範疇で解決しない時に
関係諸機関へ相談する事がある。
そうすると、私達の介入以前からそのお宅の状況を知っていたりする。
しかし、そうであるのにも関わらず
その本人や、在宅に出向いた事がない・・・・・
そういう事が、割合と多いらしい事に最近気がついた。

電話や来所による相談・面接だけで何が分かるというのだろう?
・・・・・とても、疑問に感じる。


在宅に踏み入っていくという事は
決して目をつむってはいけない状況を知る事がある。

つまりは
適切な環境・・・・・介護や育児、その他もろもろ
そういったものが、与えられていない状態が存在している事がある。
そして、そういったことは、少なくはない。

自分達が対象とする利用者に関することはもちろん
その在宅で生活している、子や孫
そういったところでも、世間を騒がすような事は起きている。

虐待の連鎖
複雑な関係性をもつ家庭が、すべてそうだという事ではない。

注がれるべきものを与えられなかった親は
その子にも、必要な愛情を注げず
その子は、さらに自分の子供に同じ接し方をしてしまっている。
子は健気で
訪問する私達にも、過剰な執着を見せる。
「自分を見て」
そのサインがダイレクトに伝わってくる。

高齢者も同じで
その関係性から、互いの感情の交錯はより複雑である。

介護する事も拒否だが、施設などの整った環境を与える事も許せないと、言ってみたり
座敷牢のような部屋に、外側から鍵を掛けられている・・・・・

在宅生活を維持していくには
必要最低限のものが揃っているかがネックになる。
それは、基本的な生活・人権の維持が出来るかどうか?

子供の場合は更に
適切な心身の成長・発達が出来ているかどうか?

そんな大事な事から
かけ離れているケースがいくつもある


心配や不安は
的中する事が多く
一刻を争うような事のなる前に
きちんと自分が介入できるか
受け入れ先が見付かるかどうか
いろんな事がめまぐるしく頭の中を行き来する。

どんな人でも
自分らしくあるために
それは利用者も介護者も・子供も親も
普通にあるべきものが、当たり前であるように

切実に願います。


悲しい人が、増えませんように。

posted by 木下 小櫻 at 01:05 | Comment(0) | 不安を呷るモノ

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。