2009年02月13日

ルーツ

いつも思う事なのだが
その人のルーツを誰も知らない・本人も忘れている場合、
何かを探し当てたり、思い返すこと、
一緒に回想する事って出来るのだろうか?

漠然となのだが、昔からそんな事を思っていた。

・・・・・そしたら、いた。

誰も、その利用者の生まれ育ち、出身地、経緯
そういったものを身近な人すべてが判らない。

アセスメントの段階で、私たちはその人の生活暦を聞く。
どんな人であるのか、どんな事を大事にしてきたのか
どんな背景を持った人なのか
ただ、むやみやたらに聞くのではない。
少しでも、その人に近づく事が出来るように伺うのだ。

その方は、かなり進行した認知症である。
発症はだいぶ前であったようだが、適切な診断も治療も何もしないできたらしい。
虐待がらみで、関わる事になった。
利用者と血縁にあたる人は、この世には現在存在しない。
義理の家族と住む利用者は、適切とは言い難い環境の中、認知症であることが幸いと出たと言っては失礼だが、にこやかに対応してくださった。
商売をしてきたらしい・・・・・という、はっきりしない情報の中、
対人関係はとりあえず保て、むしろお手の物のようだった。

出身に関することを伺う。
現代の世の中では、決して一般的とは言えない生活暦を聴く。
義理の親族たちは、
「え?そうだったの?」
「いや、聴いた事ない。」
首を傾げる。
そういえば、どんな人で、どんな人生を歩んできたのかなんて聞いた事がない・・・・・と。

漠然と不安だった事が、目の前にあった。

アセスメントとは
利用者を理解するためのツールであって、すべて聞き取る事も知る必要もないと、私個人は思っている。
これまで、アセスメント表を埋めきらなくてはいけないとは思ってこなかった。
ところが、最近はアセスメントがとても重要視される。
その理由は、非常に良く理解できる。
適切なアセスメントがあってこその、マネジメント。
確かに、まったく持ってそのとおりだと思う。

でも、そのアセスメントがすべて埋まらなくては
利用者を理解する事は出来ないのだろうか?

思うことは、そうではないのではないか・・・・・と、言う事。

情報が欠けていても、私たちはプロであって
その方に寄り添って歩いていく。
その表情や言動から、何かを理解しようとする。
新しく築いていく関係もある。


はっきりした情報がない利用者。
なんとなく、自分にも共通するものも感じる。

「え?こんな事も把握していないんですか?」
なんて、事業者さんから聞かれることもある。
でも、アセスメントって、事業者さんも直接、利用者から聴取すべき事ではないのだろうか?
立場や視点が変われば、違う何かが見えるかもしれない。

「ケアマネさんからの情報だけで、利用者からは聞きません。」
そう堂々と言う事業者もある。
理由としては、何度も同じ事を聴かれるのは大変だろうから、とか
契約にかかる時間を短縮したいから、とか

それは、どうなのかな?と、思う。


いづれにしても、
ルーツがはっきりしない利用者がいて、
私はその人と、ドコに歩いていくのか・・・・・

個人的に、正念場です。






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posted by 木下 小櫻 at 00:52 | Comment(0) | 認知症

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