2010年03月02日

実家にも自宅にも「心」が帰れない…

認知症の人が帰りたい場所。

生まれ育った実家だったり、光り輝いていた時だったり
もしくは、ずっと心の奥底に仕舞い込んできた時代かもしれない。

その時に、どんな心的世界にいるかは
予測もできないし、もちろん希望もできない。

ただ、私が気掛かりなのは

この現代社会において、
家族機能や地域的なつながり
核家族化・少子高齢化・シングル・離婚率の高さ・子どもや高齢者に対する虐待・就労人口の減少・経済不安・社会情勢の急速な変化…

そんな中、
年を重ねて、少しずつ身の回りの事や自分の事を忘れていくようになった時に、
今ある自宅にも、生まれ育った実家にも
「心」が帰れない人が増えるのではないか…

つまり、自宅も実家も、自分自身にとって落ち着く場所ではなく

「居場所」を求めて、彷徨い続ける

そんな人が、自分も含めて
今後増えるのではないか…

あくまで、仮説で私見だが、そんな風に思う。

今現在まで、私が関わらせていただいてきた中でも
まったくもって、その人のルーツが分らない人がいる。

独居・身内も一切なく、古くからの知人もいない。
そして、当の本人も、すでに認知症を発症し言語を通じてのコミュニケーションが難しい場合。

例えば、アルバムや部屋の様相、言葉の断的な部分から垣間見えるモノ…
何か、ヒントになるもの・手掛かりになるもの
何かを見つけようと
何か、その人を知ることが出来るものを見つけようと私たちはする。

でも、考えてみて欲しい。

例えば、同居している家族はいて、
自宅も建て直しか、リフォームか、もしくは歳老いた親を引き取るか、
どんな事でもいいのだが
若い者の趣味で建てた家に、若い者の趣味のカーテン
本人自室もきれいだが
フローリングに、クローゼット
置いてあるものといえば、テーブルと最新型テレビ
本人が昔から使っていたもの、大事に取っておいたものは
「そんなものいらない」と若い者に捨てられ何も残っていない。
そして、同居になったとはいえ
関係性が決して良いわけではなく、
殺風景で生活感の無い空間に、日中も夜間も独りで過ごし、
わが子でさえも、
親の出身地・生活歴・若いころ何をしていたのか・何が好きなのか

…何も、誰も、分からない。
…そして、本人から聴かれる言葉は、今となっては難しい場合。

私は、どうやってこの人を知っていこう?
私は、この人の笑顔を見る事が出来るのだろうか?

いつも彷徨い歩く、その心は
何を求めて、どこへ行こうとするのか?

もしも、それでもその人に、帰りたい時があればまだいい。
たとえそれが、現実的に不可能であっても
帰りたいと思える場所があるなら、まだいい。

仮に、帰った時代が苦しいときに行ってしまっていても
過ぎ去りしいつの日にか、その人自身が肯定できる時代があるなら
そこに引き戻すアプローチも出来るかもしれない。

でも、
子ども時代や、若い頃にも、苦しい思いしかなくて
「心」が純粋に求める時代がなかったら?

その「心」は「魂」は
どこを求めて、彷徨うのだろう?

永遠に探し続けるのだろうか?
無い・無い・無い
違う・違う・違う
逃げよう・逃げよう・逃げよう


私は、どんな風に働きかけたらいいだろう?

もし、本当に、大きな意味での人生の終末期において
本当に残っている時間は今までの人生の何分の1かもしれないけど、

その人が、その「心」が
自分の気持ちの居場所を感じる事ができる
ドコかを
誰かを
見つけられるだろうか?

もしくは、私がそういう場所になれる事は出来るのだろうか?


居場所がないのは、とても怖い。
必要とされないのは、もっと怖い。

心が求める事が出来るものさえなかったら…?

どんな風に、生きていけばいいのだろう?

どんな風に…支える事が出来るのだろうか?

出来れば、社会の中で
そんな人たちの、笑った顔が見たい。





小櫻の独り言



いつも広がる、出口のない世界は
どんなにもがいても、足掻いても
いつまでたっても、外に出られない。

子ども時代から、毎晩のようにみる「逃げる夢」は
決まって、世界が腐りながらヘドロのように崩れ落ち、
最後は、真っ白になって、
すべてが消えてなくなってしまう。

逃げていたはずなのに
大事なモノをすべてなくして

大泣きしながら、「私」も消えてしまう。


こんな事は、この仕事をしている者として、あるまじき考えかもしれない
そう理解していながら、
私の心の奥底(深層心理と言えるのか?)で思う事

誰一人として、いなくならないうちに

…私が、最初にいなくなりたい…。


でも、こんな事は絶対に思ってはいけない事だって解っている。

人の生き方、つまりは生まれてから死ぬまでは
誰にも分らないし
生き方を選択できても、出生と死亡は自分で決められない。
決めてはいけない。

そして、大事な人たちがいる限りは
全身全霊で、大事なものを守り抜かなければいけない。

だって、
そうでなきゃ

私が生まれてきた理由が、見付からない。





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posted by 木下 小櫻 at 01:43 | Comment(0) | 認知症

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