2010年03月13日

認知症の可能性 〜あの日のあなたに会いたい〜

話はあるアルツハイマーの利用者とその介護者から始まる。

ありとあらゆる、いわゆる「アルツハイマー」の症状をすでに経験し
現在では、身体機能も低下しベッド上に横になっているか
車椅子での座位保持が出来るか、
声掛けに相槌のような返答はあるものの
具体的な何かが表明される事がほとんどなくなった利用者。

すでに「要介護5」である。

現在の状況に近くなって、初めて精神科を受診。
「ここまでくるには、いろんな事があったでしょう?」
そう聞く精神科医に介護者は
「もう、ありとあらゆる事は経験させていただきました。」
そう笑って答えた。

この介護者以上の介護者を、私は見た事がない。

中核症状・行動障害が出始めた頃
「認知症なんて認めたくない」と思いながらも
利用者に寄り添い続け、
外にある排泄物を黙って拾い、
徘徊の後を、見付からないように自転車で追いかけ、
先に戻った利用者に「あら、お父さん、帰っていたの?」と
優しく声を掛ける。

意思疎通が難しくなってきても
「なにも解らないわけではない」と可能性をいつも探して
1000回のうち、1回返事があれば良いくらいでも
毎日毎日、話しかける。
日常的な事・自分の事・些細な事

その1/1000回の返事を
「こんな風に、お父さん返事してくれたのよ!」

毎月の訪問の時に、
満面の笑みで、私に、サービス事業者に教えてくれる。
まるで、観音様かお釈迦様のようだ。


認知症になって意向の表明が難しくなった時、
どんな風にその人を知り、その人の希望する未来を探せばいいのだろう?

その進行段階や、損傷された部位、または環境…
様々な理由はあるが
上手く表明が出来ない、
もしくは脳の機能的に何かを感じる事が難しくなっている場合、

それでも、ほんの少しの変化や
ほんの少しの心地よさ
いつもの優しい顔や、優しい声

そんな中で、何かが繋がる・戻ってくる事がある。

そんな風に、この利用者と介護者から感じていた。


先日、消化器症状を起こした利用者を
介護者である妻は、一晩中ベッドサイドに膝をついて夫のお腹をさすっていた。
明け方、ついウトウトした妻の頭を
利用者である夫が撫でていた。

「あら、お父さん、私の頭撫でてくれるの?」
「うふふふ」

妻は、この話をいつものように、嬉しそうにしてくれた。


さて、
ここからが本題なのだが、

まだ不十分ではあるものの、何かの可能性に繋がるかもしれないと思って記事として起こしてみます。

何故か、認知症の方は、明け方に疎通や辻褄の合う出来事が多いような気がする。

これは、偶然なのかどうなのか?

日頃、親切にしていただいている老健専門棟の相談員さんに聴いてみました。

すべてのケースに共通するわけではないが、
普段全然、言語的なコミュニケーションが難しい方が深夜に辻褄の合う事を話していた事、
明け方、割と何かしら返事がくるケース

無くはないと、いう話でした。

もちろん、
日中帯はあまりそんな事は見られず、
当然、夕方はいちばん落ち着かなくなる人が多い。
アリセプトを内服している人も、日中は身体機能的な活性はあるが、
傾向としては同様。
精神薬・眠剤を使用しているケースも該当は難しい。

「いわゆる、“寝ボケ”の状態がいちばん辻褄の合う事を言うんじゃないですか?」

その相談員さんは笑って私に言った。

…けど、これって、あながちヒントじゃないかな?


認知症を発症していない私たちだって、
明け方とか、深夜って、
寝ボケたり、寝言で、何か口走った…という経験ってあると思う。

しかも、深層心理に近い事とか
自分の奥底に仕舞っていたことだったりとか、

(あまり、知られたくない事とかバレたら困る事とか…?)

何か、
アドレナリンとか、ドーパミンとか
レム睡眠とか、ノンレム睡眠とか
交感神経と副交感神経とか
精神構造とか、深層心理とか

何か関係しているような気がする。

パカッと開く事が出来ない頭の中は分らないけど

よく観察する事や
よく関わることや
よく話しかけてみる事は

それだったら、出来る気がする。


あの観音様のような奥さんと、相談員さんに感謝だ。




小櫻の独り言


実は、今日、3月13日は、私の誕生日です。
正真正銘、年女になってしまいました。(寅年…です。)

昔、30代はもっと大人だと思っていました。

もっと落ち着いていて、器量が良くて、ドンと構えていて
(もっと、色っぽくて。)

私はといえば、相変わらずやっぱり“私”です。

いつも、足掻いているし
いつも、振り返っている。

前向きにならなくちゃいけないのかもしれないけど、
やっぱり、後ろを振り返っている。何度も何度も。

いつかの、あの人は今どうしているだろう?
いつかの、私の支援は良かったのだろうか?
いつかの、私の言動は問題がなかっただろうか?

まだ10代だった頃、
レスキュー隊が来るほどの溺れ方をした私は、
上へ上へ行っているつもりが
下へ下へともがいていたらしい…

走馬灯も出てきて、ああ私死んじゃうんだ
そう思って、もう手も足も動かせなくなった時に
水面の中から、キラキラ揺らめく太陽を見つけた。

…上って、そっちかよ?


…人は人を必要とし
みんな、何かを背負って一生懸命生きる。

頑張って頑張って、でもなかなか到達しない。
笑ったって、泣いたって

でも、それでも
また立ちあがって足掻いて見せる。

私は不完全なモノの方が魅力的だと
昔から、言い続けています。

それを、自分自身に置き換える事が出来るのか?

でも、だからこそなのか、

願わくは、
リアルに感じられる今が欲しい。

たった一つの思い出だけを大事に自分の中に仕舞ったまま生きる事が出来るほど、
私は器も大きくないし、ロマンチストでもなくて、

現実に感じる事の出来るリアルを、
いつもいつも感じていたい。

大切な人が、いつも・どんな時も・この先も幸せでありますように。

いつかの思い出だけではなく
刻一刻と刻んでゆく時間が、
今よりも
少しでも
ほんのちょっとでも
一緒に刻む事が出来ますように。






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posted by 木下 小櫻 at 01:15 | Comment(0) | 認知症

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