2013年12月30日

認知症の方の虐待死

年の瀬に起きてはいけないことが起こってしまった。

正確に言えば、今月半ばにサービス提供事業者から1本の電話が入り利用者が亡くなったことを知った。

利用者は、ごく最近別の親族に引き取られたばかりだった。

もともと利用者は伴侶を亡くしてから長年1人暮らしだった。
子どもたちの利用者に対する評価は、「自分勝手」「気まま」「人の気持ちが解らない人」
それでも、年老いた利用者を一人にしてはおけないと、遠方から子ども夫婦が帰ってきたのが5年前。
非常に前向きな同居だった。

でも、介護や認知症の現実に対する認識が甘かったことを知るには、多くの時間は掛からなかった。
私が介入した当時、既に利用者と同居した子ども夫婦の関係はギクシャクしており、
子ども夫婦は本気で利用者に対し、「性格を叩きなおさなくては」「こんな非常識なことをしていては、本人が他人から笑われる。それでは結果的に本人がかわいそう」「だから教育する」
・・・我々専門職からすれば「暴言」「不適切な介護」「認知症に対する理解不足」であり、
当然のことながら、虐待事例として何度も保険者に相談・カンファを重ねていたケースだった。
途中、何度も施設入所の勧めを試みたが、
子ども夫婦は、必要最低限の食事・清潔・受診・必要なサービス利用のための出資はしており、
何より、「自分たちにどうしても介護が出来ない、別暮らしをしなくてはならない理由がないのに、施設に預けるなんて常識的に出来ない」と言って、子ども自身が大病し手術になってもショートステイすら利用せず乗り切った。
それでも仲良し親子では決してなく、ギクシャクした関係は続き、お互いの気分転換のためにも、また365日休みなく介護をしているのだから、たまには夫婦で出掛けてみてはどうか? 周りの方はもっと気楽にショートステイも利用している・・・等、持ちかけても、子ども夫婦は所用が出来ても必ずどちらかが残り休みなく介護を続けた。

この5年、時には行き過ぎた言動が見られることもあった。
利用者の被害妄想から、主治医から虐待通報が上がることもあった。

何度となく、虐待カンファは繰り返され
もちろん私も、毎月訪問するごとに認知症の症状・適切な介護・今後予測されること・介護者の気持ちの理解を繰り返し繰り返し、
関係者の合意は、「施設に保護するほどではない。」「介護指導の結果、不適切な介護は改善されてきている」「見守りを継続する」だった。

認知症に対し、介護が適切になるということは、すなわち介護者が認知症とともに生きる利用者に対していろんな事を諦めていく過程でもある。
「こんなことがあっても仕方がないんだ」
「言っても解らないんだ」
「自分たちが目を瞑って、笑っていればいいんだ」

不適切な関わりが少なくなった分だけ、こんな言葉が子ども夫婦からは頻繁に聞かれるようになった。

子ども夫婦には、相談できる人がいなかった。
親族にSOSは初期の頃、何度も出した。
「1日でも、2日でもいい。どうしても自分たちに用事があるときだけでも預かってもらえないか?」
でも、誰も助けてくれなかった。
利用者が被害妄想を電話で話せば、徹底的に誹謗中傷の嵐がやってくる。

結果、子ども夫婦は親族を頼らなくなった。

「最期まで、在宅で看る。」
「そしたら、もともと自分たちが住んでいた場所に帰る。」
「健康だから、まだまだ10年ぐらい先だろうけどね。」

ちゃんと、現実を見据えた上での結論だった。
何度も虐待カンファを開催した子ども夫婦は、もうそこにはいなかった。


しかし、ある日、急遽方針が変わった。

今まで、まったく関わっていなかった別の子ども夫婦が、利用者を引き取ると言ってきた。
介護に対して覚悟を決めていた子ども夫婦とはいえ、5年にわたる認知症の介護を経てきて疲れていなかった訳ではない。
そして、もともとの親子関係も良好だったは言えない。

結局、利用者は住み慣れた自宅を離れ、5年一緒だった子ども夫婦と別れ、別の子ども夫婦が住むだいぶ離れた土地へ引っ越す事になった。
これが、2ヶ月弱前。

少し離れた土地だったので、今まで利用していたサービスは営業実施範囲外のため継続が不可能だった。

自宅を離れ、今まで一緒だった家族とは別の家族になり、今まで通いなれたサービス事業ではない別の事業所に通うことになる。
認知症が十分に進行している利用者にとっては、混乱する要因が山の様にあること
同居を開始する前に訪問し、利用者の現状に対する話をしに行った。
1日少しの時間、利用者といただけでは気がつかない、驚くような症状がたくさん見られること、ああこんなはずじゃなかったと思うことが早い段階で来ること、その時はすぐに言って欲しい、すぐにでも施設入所の対応を取ります・・・

新たに同居になる家族は、元介護職。

でも、認知症に対する理解は、非常なまでに薄かった。

「段差を取ったり、暮らしやすいように配慮したりするから、どんどん出来なくなるんです。」
「何でも認めていては、どんどん甘えて何も出来なくなる。」
「教育すればいいんです。」

・・・また、振り出しだ。
・・・しかも、利用者の認知症は5年前とは比べ物にならないくらい進行している。

何より、心配だったのはご近所さんから
「誰も寄せ付けないような家に、あんた何の用事があるの?行くだけ無駄だよ。」
そう言われた。

出来れば、認知症対応型のサービス利用を勧め、利用者の心情の変化に気付いてもらいたい。

でも、以前勤めていた、リハビリ重視のサービス事業者にもう話はつけてある。リハビリすれば、元気になるだろう・・・そう、元介護職の今度の子ども夫婦は言った。

その通所リハビリに連絡をした。
まず、リハビリの指示理解は難しい事。マンツーマンで付きっ切りになる可能性が高いこと。言ったその場で忘れるため、他利用者と馴染めるか不安が大きいこと。

その管理者は「ああー」と言って、私が感じた新たな同居家族に対する不安に対して、「確かに、ちょっといろいろあったんですよね。どちらかというとその伴侶の方のほうが少し・・・」と言葉を濁し、「でも、まぁ受けると話もしてしまったので・・・」と、言った。

同居数日前、新たに住む家に、利用者と今までの同居家族と、これからの同居家族と、今までのサービス事業者とこれからのサービス事業者と集まって、引継ぎと担当者会議を開催した。
利用者は、大声を出して興奮して「私をどこかにやる気か!?」と混乱していた。
今までの同居家族が理解しやすいように根気よく話をしてようやく落ち着いた。

元介護職の子どもは、「本当に認知症が進んでいるんですね?」と言ったが、その伴侶は何も言わなかった。

今度の圏域の地域包括支援センターにも連絡をした。
今までの経過と、今後の生活でも同じことが起こりうる可能性が非常に高いこと。
まだ何も始まっていないが、虐待に発展する危険性を感じた理由。

同居が始まったら、挨拶に回ったり民生委員への紹介などしていきましょう。

そして同居が始まった。
最初の3日くらいで、自宅には帰れなくなったことを理解した。
そう、今度の介護者夫婦は言った。
「この家の家長は誰だ」
「家長がルールだ」
・・・教え込みましたよ。
「はい。あなた様です。」って、ちゃんと答えますよ。
今までは自堕落な生活をしていたようですが、朝はきちんと起きて、何でも「はい。」「はい。」って言ってやってますよ。
教育すれば出来るんですよ。
この人はね、認知症ではないんですよ。

もう、この話だけで十分だった。

利用者の性格や認知症の具合から、考えられないことだった。
元気な頃から、人の言う通りにテキパキ動いてやる人ではない。
一言二言、憎まれ口も出るのが、いつもの利用者だ。

唯一、救いだったのは通所リハビリに順調に通えていたこと。

ただ、スタッフから何も困った話が出てこない・・・

1ヶ月目はこんな感じで経過した。

2ヶ月目、前半が終わる頃、通所リハビリの管理者から電話が来た。
「トイレの始末が悪くて、排泄後便器を触ったりする。感染症になると困るから、あと暫くサービス利用はさせない。」と、家族から連絡があった。そんな事は気にしなくていいと話したが、意向は変わらないようだ・・・と。

自宅と言う密室になるのだけは避けたかった。

すぐさま、電話をした。
介護者は、通所リハビリの管理者が伝えてくれた内容とほぼ同じ事を話された。
認知症のため、排泄の後始末が上手くできない場合もある。
その事で、サービス提供事業所で対応できないことはない。
むしろ、利用者自身や介護者のためにも定期的にサービス利用をしていた方が良い。
まず、お顔だけでも見させてもらいに伺わせて欲しい。

しかし、端から聞く気が介護者になかった。
「あんた、何しに来るんだ。」
「あんた、一体何が言いたいんだ。」
「親方は1人でいい。たくさん親方がいると、どの意見を聞いていいか分からないだろう。」
「親方は、自分ひとりでいい。」

そう大声で怒鳴り散らし、電話を切られた。

本当は、この日、私は行くべきだった。
ただ、行って門前払いだったら、結果は同じ。

通所リハビリの管理者に、すぐ折り返した。
自宅が密室になるのは避けたい。
あまり良くない状況下に利用者はおかれていると強く思うこと。
行って門前払いでは意味がないから、然るべき方法を取れるようにしようと思うこと。

通所リハビリの管理者は、「ちょっと待って」と言った。
元同僚の、今の同居の子に対する配慮だった。
「元介護職だから、子本人は分かっているはずだ。伴侶がいると伴侶の意見に巻かれてしまうので、上手く子本人だけ誘い出して、現状について確認するようにしたい。」

その話を含めて、地域包括支援センターにも即連絡した。
「自分たちが訪問しても仕方がない、門前払いだろう。ある程度、強制力がないと駄目じゃないかな。通所リハビリの管理者が話をしてくるのを待ってみる。」
そう話され、私も合意してしまった。

通院先の病院に連絡を入れると、薬が切れているはずだが来ていない。
もともと今までの同居家族が認知症であることを受け入れる事が出来るようにして欲しいと相談したことから通院に繋がった経過もあり、今度の同居も同じ事になりそうだと相談していたこともあり、受診の勧告をしてくれる方向で話は進んだ。

そして、先月まで同居だった子どもにも連絡した。
引き取って欲しいとまでは言わないが、施設に入れてやりたい。
今のままでは、利用者がかわいそうだ。
「あっちの家族は変わっているんだ。何でも自分が正しいと思っているから誰の意見も聞かない。怒鳴り散らして威嚇するのは昔から。誰も近寄らないんだ。もう関わらない方がいいよ。本人も、今までずっと好き勝手やってきたから、今が試練の時なんだよ。」
・・・今までの関係性が、子どもにそう言わせた。


それから、4日後。
通所リハビリの管理者から、
「大変な事が起きました。利用者が亡くなってしまいました。」
と、連絡が来た。
通所リハビリの管理者のところには、警察から連絡があり最近の様子を聞かれたとの事だった。
虐待疑いについては、話さなかったと言う。
「ケアマネジャーから、警察に連絡してください。」
確証はないけど、私が感じたことは警察に話す・・・そう伝えると、
「元同僚だから、疑われるような事は言いたくない。」と管理者は言った。

警察に連絡し、教えてもらった内線番号につないでもらうと捜査一課だった。

引越し前の家族状況と介護状況
引越し後の家族状況と介護状況。
目の当たりにしたわけではないが、私が危惧したことを話した。

当然、警察では不審な点がたくさんあったこと、家族の供述と遺体の状況に食い違いがあること、検死に留まらず司法解剖の手続きを手続きを開始しようと思っていたこと・・・

そう教えてくれた。

警察と話してから、通所リハビリの管理者に再度連絡したが会議のため不在。今回の利用者の件で電話したことを電話に出た現場スタッフに話したところ、事情を知らされていなかったと言う。
そして、現場スタッフは
「前の家族が良かった」
「今の家族は、守ってくれない」・・・そう言ってたんですよ・・・と私に教えた。

折り返し、通所リハビリの管理者から電話が掛かってきた。
私が警察に情報提供した内容を伝え、今後、警察から何か聴取があった時には包み隠さず話して欲しい、じゃないと利用者の最期の声が分からないし、浮かばれない。

通所リハビリの管理者は、「元同僚だから・・・」と繰り返した。

私は、「長年、利用者の担当だから」と返した。

仕事納めの日。
捜査一課からの電話の代わりに、もともとの同居の子ども夫婦から電話がきた。

葬儀はこちらで出したこと。
今は仏壇の前で毎日お話していること。
最後の同居介護者が、何故か利用者が寝ていた布団を返しに来て、利用者の通帳は持ってこなかったこと。

・・・肋骨が8本折れていて、頭が陥没していたこと


私は、何で利用者を守れなかったのだろう。
いつの時点で、どうすれば良かったのだろう。

きっと、形を変えても、自宅に戻って来たかったんだよね。
・・・と、もともとの同居の子ども夫婦は言った。


この仕事についていて
決してハッピーエンドではないケースは多く、
施設入所も止む無く在宅継続も、利用者にとっては妥協策であることが多い。

どこかでみんな、折り合いをつけて、どこかで我慢して。

本当は、望んでいることなんて、小さな小さな願いでしかないのに。


私はいったい何をしてきたのだろう。
どうして、守れないのだろう。
利用者の生活も、夢も、希望も、人権も。


たくさん抱えている利用者。

でも、私にそんな資格ない。




小櫻の独り言
どうしたらいい・・・
それしか出てこない。

どんなに危惧していても、疑いでしかない。
この状況で、半ば強制的に自宅に押し入ったり
保護が出来るとも思えない。

でも、こんな結果が起きた。




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タグ:虐待 認知症
posted by 木下 小櫻 at 02:23 | Comment(0) | 認知症

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