2008年05月19日

結核

その昔、不治の病とされ脅威を振るったその大病は
医学の発達や生活水準のアップに伴い減少傾向にあった。
現在、様々な社会情勢の変化によって結核を患う人々がまた増加傾向にある。

学生時代、呼吸器疾患の講義を担当していた医師はこんな事を言っていた。
「実際問題、ほとんど見られなくなった結核は、臨床像を知らない医者が多い。今、また増加してきているがレントゲンなど診ても診断がつけられない状況がある。」

新卒で就職したその学生時代を過ごした病院は
重症心身障がい児(者)の病棟が3つ
難治性小児科疾患の病棟が1つ
神経難病の病棟が1つ
結核病棟が4つ
結核性の整形外科1つ
呼吸器外科病棟が1つ
いわゆる総合病院(定められた5つの診療科目がある)ではなかったが、国立病院(現在、独立行政法人)であったため、専門性は高かったように感じる。

結核病棟では“未復”とカルテに判が押されているものが多くあった。
未復・・・・・戦後未復帰。戦争中に結核に感染し軍隊に戻れず、戦後も長く療養継続し社会復帰が困難なケース。
排菌が止まらなければ、退院が出来ない。
4つある病棟のうち、排菌が多い患者の病棟、比較的軽度な病棟とわかれていた。
何十年と病院の外に出られない患者がいる。
どう捉えていいのか判らなかった。
何十年と病院で暮らしている・・・・・現実、戦争当時からであるため帰る家も場所も家族もいない。
長年病院で暮らしているため、ここから出たくないとも言う。
今更、外界で暮らすなんて恐ろしくて出来ない・・・・・と。


結核予防法という法律上、排菌が続けば退院は難しい。


帰りたくても帰れないケース。
帰ることを拒否するケース。
様々、ある。


排菌が止まったケースでも、なかなか帰れない事もある。
在宅であっても知識不足や結核という名前からくる既成概念から、退院を家族・親族から拒まれる事もある。
余談だが、その病院に勤務している事を理由に、恋人と別れさせられた人・結婚が破談になった人・・・・・そんな事もたくさんある。
様々な理由で、在宅生活が困難なケースに至っては次に療養もしくは生活する病院・施設が見付からないケースもある。

また、他病院から結核と診断され転院してくるケースでは、マスクやガウンの他、身体の表面がまったく見えない状態・ディスポの手袋まではめられて輸送されてくる事もある。
マスク一つで出迎えた職員に対し
「人間らしい扱いをしてもらえた。」
と、大泣きされた。


結核に限った事ではないが
ハンセン病などにもあったように、必要以上もしくは必要性のない隔離や、不当な扱いを受けてきた病というのは古くからあって
残念ながら、今でも根強くあるものもある。

それは、一般に身近に感じられない病気でなくても存在する。
例えば、認知症や精神疾患、また老化といういつかは誰しもが通るであろう症状に対してでも起こっている。

マスメディアなども通して広く浸透しているかのようにも見えるが
誰からも見られないように閉じ込められている
実は、意外と多い。
現実に、こんな暮らし方があっていいのか?と憤りを感じるものも多い。


介護の社会化
そんなフレーズが出回って、どれだけ社会化したのだろう?
大風呂敷を広げた介護保険は、後から後からどんどん切り捨て、結局風呂敷の大きさどころか、どんなモンだったのかさえ解らない。
生活の支えや、用具があってこその自立が阻害され
セーフティネットも上手く機能しない。


正しい情報をいくら流しても
社会に、地域住民に、当事者に響かなくては
意味がない。

人が人らしく生きていくために
不当な扱いや、隠されたりしないように
誤認識や、出来上がってしまった既成概念を吹き飛ばすくらいの働きかけ。
余力がたくさん必要だが、
たくさんの人が集まれば、出来るかもしれない。





参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ



posted by 木下 小櫻 at 00:47 | Comment(2) | 仕事の話

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。