2008年05月05日

子供に掛かるモノ

介護に携わる仕事をしていて思うこと。
それは家族の歴史や関係性が、大きく“今”に影響を与えるという事。


少し、話はズレます。(ノッけから)

最近、blogにアップしているものは、在宅看取りや生きる事・死んで行く事・・・・・それに掛かる意思決定。
そんな記事が続いていました。
その人の意向を最大限尊重する事とはどういう事なのか?
常々、考え・悩んでいる事です。

でも、対象が変われば、また考えも変わってきます。
例えば子供だったら・・・・・?
何としてでも生きていて欲しいと思う方が大半だと思います。
例えば、我が子の病気や怪我・・・・・変わってあげたいと思います。
知人には、お子さんを病気や事故でなくされた方が数名おります。
高校時代の友人は白血病で若くして他界しました。
中学時代に憧れた先輩は、1人は試合中の事故・もう1人はバイク事故。
すごく身近にいた人は、自ら逝ってしまった。
そして、弟は先天性心疾患で短い生涯を閉じた。


健在であっても、闘病中であったり、以前は必死で治療した方もいらっしゃると思います。
私の職場にも、お子さんが小さい頃必死で看病していた方がいます。
その方曰く
「あの時は大変だった。(闘病中の子が)風邪をひけば、あなたが咳をしたからだと、上の子を責めた。どこかからか笑い声が聞こえれば、なんでウチはこんなに大変なのになんで笑うの?と怒り、病棟スタッフの表情一つで怒鳴っていた。」
・・・・・それだけ、対象が子供である事は大変な事なのだろうと思います。


これからの世の中を支えていく事になる子供達。
今の大人たちのツケを被る事になるであろう子供達。
モラルや概念が崩壊し、いつも危険と隣り合わせの子供達。
小さな頃から集団生活や社会生活を知らない子供達。
場合によっては、曲がった愛情を注がれている、もしくは愛され方を知らない子供達。


介護に携わる中で、
どうしてなんの連絡もよこさないのだろう?
どうして、「いい様にヤッておいて下さい。」なんて人任せなんだろう?
そんな風に介護者や家族に対して思うことがあります。
でも、事情や家族関係・現在利用者である親が、どんな接し方をしてきたのか?
いろんな事が見えてくると、なんともしがたい気持ちになる事があります。
(中には、本当に勝手な方もいらっしゃいますが・・・・・)

少し自分とダブるのです。
こんな仕事をして、こんなに介護者の存在の是非が利用者の生活に大きく影響を及ぼす事を厭という程知っているのに
私に親の介護が出来るかどうか・・・・・悩むのです。

先に紹介した、お子さんを看病してきた職場の方の気持ち。
よく分かるのです。
何度かアップしてきたように
望むことなく私を身ごもった両親は、弟の闘病・他界・父の蒸発(という名の、別宅での生活)後、離婚します。
何度か再婚・離婚を繰り返す母。ノイローゼだと言っていた母。
その度にどこかへ預けられる私。


繰り返される、
「アンタさえいなければ、私はこんな人生じゃなかった。」


今でなくとも、比較的子供の頃から母親の切なかった事は理解していました。
父の残した借金を払い続け、どこかに預けていても子供にかかる養育費は捻出し
生活保護を受けながら、パートの給料だけで生活する。
「奨学金、もらえるレベルは維持しなさいよ。じゃなかったら学校辞めな。」
大変なのは分かるから、目指した看護学校へ行くのも高校時代に深夜までバイトし、お客である父と同じ世代の大人を心のどこかで嘲笑し、
(ちなみにこういう話をすると、非行にでも奔っていた印象をもたれるのですが、反抗している暇はありませんでしたよ。っていうか、私、ルーズソックスのハシリの時代ですよん。)


でも、上の言葉「アンタさえ〜」は、やっぱり私の中に残っています。
母親と対峙出来るのかどうか・・・・・不安があります。
行政の追跡調査で、父親と繋がりのある者へ連絡がきたら、人として誠意ある対応が出来るのかどうか・・・・・


ここまで極端な話でなくとも
家族に培われてきたものは、後々まで影響すると思います。
裕福である事が幸せだとは思いません。
気持ちが繋がっている事が大事であり
その絆をどう作るのか・・・・・

もちろん、私にもその答えは見付かってませんし
日々、奔走中です。

家族・親子の絆の強い人がいます。
似たもの夫婦で、何故か他人の不幸を
「あんなことしているからだ。」
「馬鹿だ」
と、話している人です。(その話を聞くことは非常に苦痛です)
その方たちのお子さんは、幼稚園にして失敗に対する過度な恐怖心があり、「失敗したら馬鹿にされる。」と緊張のあまり失神します。

いつもお母さんはパチンコに行っていて、遅い時間になっても帰ろうとしないお子さんがいます。

いつも高価なもので着飾って、子供として経過していかなくてはならない自然と触れ合う教えを「うちの子にはさせないで下さい」「他の子がしていてもダメ。服が汚れるでしょ!?」と、言われ我慢しているお子さんがいます。

毎日毎日、夜遅くまで一家揃って外食でご飯を済ましているお子さんがいます。

バーチャルな世界と、生きている世界が混ぜこぜになっているお子さんがいます。

自分や誰かを傷つける事でしか生きている実感の持てないお子さんがいます。

自分の気持ちをどう表現していいのか分からない人がいます。

誰でもいいから抱いてくれる人がいないと自分を認識出来ない人がいます。

愛される実感を持てず、誰かを、自分を愛せない人がいます。



偉そうな事を言ってますが、私も同様です。
我が子たちに話している事は、いい事なのか、悪い事なのか
私自身、自分を大切に出来ているのかどうか
もし出来ていなければ、家族に対しても出来ていないのではないか?


人を、家族を、切っても切れない仕事をする。
永遠続く、私の自問自答。


次世代を担う子供達は、かけがいのない存在です。
元気でいて欲しい
健康であって欲しい
ごく当然の思いは、きっとほとんどの方に共通するものではないでしょうか?

その子供達に、生き方や道理・考え方
教えていくのは私たち大人です。
気付いてあげるのも、自分達の立ち位置も。


そこら中に、サインが落ちています。




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posted by 木下 小櫻 at 15:58 | Comment(5) | 人格形成

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