2008年12月07日

起こしてはいけない“ケース”を起こす 〜意向尊重と生命と職業倫理〜

実は、ここ1〜2ヶ月、様々な研修とスクーリングが重なって
久しく多忙な日々を送っていました。
残すところ、今月中旬の研修をもってひと段落というところです。
先月は、月の半分はそういったものに参加しており
正気ドッと疲れました。
先日、1日休んで
温泉入って、美容室行って髪バッサリ切って、ジムに行って暴れてきました。


さて、その残すところ最後の3日間の研修ですが
事例を持っていかなくてはなりません。
概要程度でいいので、大した量ではないのですが
比較的意義のあるこの研修に、
掘り返したら、きっと私自身がまた傷つくケースを
あえて、まとめさせていただこうかと思ってます。

講師の先生方が口を揃えて言います。
本人の意向を守る・・・・・それが私たちの仕事。
でも、命に差し障るときは、命を守る。
死にたいって言っているからって、その思いを支えちゃダメ。
そんな事したら、そのケアマネを責めますよ!


このブログを、追って読んでくださった方はお気付きかも知れない。

私は、その何の病気もなく、立派なお家に暮らしていた
この世からサヨナラする為に、絶飲食を決行したある男性を担当した事があった。
私が介入した段階で、既にるいそう著明、褥創形成あり、各関節拘縮。
意識状態はクリアで、
どうか、この意思だけは摘み取らないで欲しい
どうか、主人の想いを遂げさせて欲しいと
利用者本人からも、家族からも言われた。
おそらく、私が介入した段階の状態では
点滴や高カロリー輸液を行っても、身体が受けつけなかっただろう。

私は、このケースに対して
何も受容が出来ておらず
でも、何度思い返しても
何度いくつももの場面をシュミレーションしても

私は、同じ結末しか迎えさせられなかった
・・・・・と、思う。

私が介入した段階に至るまでには
様々な葛藤と、相当な苦しみがあったと思われる。
家族の側も、その姿を見続けるには
悲しみや、苦しみ、本人への説得
いろんなものが介在したはずだ。

主治医も自治体も
簡単に、「本人がそう言うんなら仕方ないんじゃない?」
と、あっさり答えた。

「私は、今救急車を呼んで、無理やりにでも病院へ連れて行くことも出来てしまうんです。」
そう言った私に
「どうか、この願い(このまま死にたい)だけは、摘み取らないで欲しい。」
と言った利用者。
何故、この状態で介護申請だったのか?
困惑する私に家族が言った。
「あなたは、息を引き取る時期が分かるでしょう?
 だから時々来て、その時が近くなったら、教えてちょうだい。
 最期くらい、そばにいてあげたいのよ。」


いくら、振り返っても
これで良かったのだなんて思えない。
でも、別の答えがあったのか、どうか。
私に出来た事は、結果、同じ事しか出来なかったのではないか?
強制的に病院へ搬送しても
おそらく治療が望めなかったように思われる。
管だらけになって
妻や、第3者に、排泄の世話だけはさせたくない・されたくない
そのプライドは絶対に譲れないと
飲水をあれだけ拒んだ利用者。

何が良くて、何が悪かったのか?


良かった事など、どの方向を向いても考えられない。


思い返す事も、そうとうなエネルギーのいる
このケース。
命を守れなかった、最悪のケアマネとして
提出してみようと思います。






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posted by 木下 小櫻 at 02:28 | Comment(0) | 介護支援専門員

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