2008年06月16日

コミュニケーションツール・秋葉原の事件より考える

先週、秋葉原で大変痛ましい事件が起きた。

加害者は、ネット上の掲示板に以前から多くの書き込みをしていた。
TVでは連日、事件そのものについてと、その事に関する報道がなされている。
心の闇・・・・・そんな風に取り立たされている。


まず先に、コレだけは述べておく。
どんな理由があろうと、罪のない人たちを無差別に殺傷する事などあってはならない。
コレだけは、絶対譲れない確固たるモノだ。

ココから先、ここに記述する事は
現代社会における、人間関係やコミュニケーションについてである。

この時代において、人々のライフスタイルは急速に変貌している。
旧人類でアナログな私では、着いていけないものも多い。
当たり前のように、ひとり1台ケータイを持ち
このようなブログ開設者は相当数いる。
巨大掲示板などの利用者も多いのであろう。
書き込みこそした事はないが、覗いて見た事位はある。
悪意に満ちたものや、誹謗中傷
場合によっては、個人特定可能な書き込みさえある。

便利になった、コミュニケーション。
昔、私がまだ10代だった頃、巷ではトレンディドラマなるものが流行り、「東京ラブストーリー」でトランシーバー並みに大きなケータイが出てきた。
そんな機械は、一般には広まってはおらず
電話をするにしたって、相手が自宅に帰っている事が条件だった。
自宅の電話で長電話しては、家族にも悪いので
テレホンカードを何枚も持ち、近くの電話ボックスへ行って延々喋っていた記憶がある。
PCに関しても、メールやブログ・掲示板などといった物もなく
(あったのかも知れないが)
“パソコン通信”略して“パソ通”と呼んでいたと思う。

人が人と何かを語らうには
電話か手紙か、直接会って話す事が当然であったし、本来そうあるべきものだと思う。
閉じこもりの友人に会うには、電話を取り次いでもらうか
自宅を調べて、訪問してみるしかなかった。
一方的な言葉の投げかけは、当時通用しなかった。

人が人に、何かを相談する時
ある程度の緊張が伴う。
深刻であればあるほど、相手も選ぶし
内容如何によっては、信用している相手であっても躊躇する可能性もある。
特に、広く多くの人々と心を開けないタイプの人であれば
なおさら、そういった可能性は高い。

今、このように便利になったコミュニケーションツールを使って
多くの人々との繋がりを持ち、ケータイにはたくさんの“トモダチ”がいる人が多いと思う。
“トモダチ”は多いのに、本心が出せない。
何故か、そういう人が多くいる。

ネット上の繋がりも
相性が悪ければ、簡単に切り捨てる事が出来る。
至って簡単だ。
深く考える事もしなくていいし、上辺だけの付き合い。
きっと人間関係で悩まなくてもいい。

でも、そうではない人もいる。
真剣に語ってみた結果、ツレナイ返事・キツイ言葉。
そこで「何だよ。バーカ!」と切り替えられる人はまだいい。
真に受けて、悩んでしまう人もいる。
顔の見えない、素性の判らない関係であることが、
逆に難しい結果を生む事だってある。

直接会って話す事。
何も、PCの繋がりを否定しているワケではない。

私が影響を受けた、ALSの女性は
発病をきっかけに疎遠になってしまった、夫・息子たちに
唯一、随意で動く、左頬の顔面筋のわずかな痙攣を利用し
顔に心電図モニターのような線を3つ付け
床棟台の上に乗った画面を見ながら
必死で手紙を打ち、語り続けた。


現代社会における、多方面の闇は複雑だ。
何も障がいや、病気・環境的な問題が何ひとつなくったって
元気そうに見えて、不自由なさそうに見える人が、自分から絶って逝ってしまう事もある。

いつでも連絡がつく筈のケータイも
着信を見て、拒否する事も出来てしまう。
相手の都合を考えなくても良い筈のメールも
即返事が来ない事で、先方の心象を悪くしたり悲しませたりする事もある。
どんな風にでもとれる文面から、何を汲み取るべきなのか
表面だけの返事でいいのか、掘り下げたほうがいいのか
反応がない事より疎外感を感じたり
本質よりもイメージが先行して、別の人格が一人歩きしたり。


人と会って話をする時に
どれだけの情報を、頭で分析するだろう?

表情・しぐさ・目線・話の脈絡・トーン・語尾
「そうなんだ。」
これひとつにしたって、その状況によって意味合いはいくつもある。

社会情勢から、文化・文明まで
めまぐるしく変化していく。
家族ひとつ取ったって、希薄になっている。
学校だって、気に入らない事があれば一斉メールで誹謗中傷。

この社会はドコに向かっていくのだろう。

人は独りでは生きていけない。
どんなに強い人間だって
何かしら頼りにする人物がいるはずだ。
日常生活だって、いろんな人の働きがあって成り立っている。

何より、精神的な繋がりがあるかどうかは
必ずと言っていいほど、その人の人生において大きな財産となる。

私自身、友達は少ない。
いわゆる、“トモダチ”が少ない。
本音は、多くの人には言わない。
(仕事上の事は、改善が必要と思われることは言います。)
虚飾のない、まんまの私を認めてくれる人が、ほんの少しいてくれるだけで、十分幸せです。
だから、自分から積極的に“トモダチ”を作る傾向がない。

相手から寄って来てくれて
なおかつ、私を理解してくれたり、必要としてくれるなら
私はそれに応えていきたい。

そんな中で、お互い気持ちを開いていく。
・・・・・そういう事が、人のコミュニケーションではないだろうか?

(もちろん、私の仕事ではプロとしてのコミュニケーションスキルが求められ、積極的な働きかけ・介入が必要でもある。)

ただ、一個人として
人と人との繋がりを考えれば、そんな事ではないかと思う。

“そんな事”が難しくなってしまった現代社会の人々。
犯行に向けての書き込みを執拗に続けた理由を
「誰かに、止めて欲しかった。」と語ったという加害者。
掲示板や、ブログなど
真剣に受け止める人は、きっとほとんどいない。

それでも、そこに頼らざるを得ない・・・・・現代人の姿なのでしょう。


人と人を繋げていく為には、どうしたらいいのか?
本来、第3者が考えなくてもよかった事だが
今後の社会では、こういった事が求められるのかもしれません。



・・・・・今回の事件、秋葉原で被害に遭われた方々のご冥福をお祈り申し上げます。





参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ




posted by 木下 小櫻 at 01:40 | Comment(0) | 日記

×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。