2008年05月23日

虐待相談

今月、新規依頼で担当が始まった数件のケースは
すべて虐待がらみだった。

正直に申し上げて、精神的エネルギーを消耗するようです。
事務所に帰ってきて、デスクに座るとまず溜息。
しばらくボーっとしてしまう。
さっさと、虐待相談受付票や記録の整理をしなくはならないのだが
頭が思考停止状態になってしまう。


全体的に虐待とされるケースが増加傾向にあるのか
今までも同じようにあったのが、表面化されるようになったのか
おそらく昔からあった事だけは確かだとは思うが
隠れていただけなのか、実質数が増加しているのか?

何であれ
虐待は許される事ではないと思う。
しかし、本当に悪質な虐待から
何とか元に戻って欲しい、昔はこんな人ではなかったという思いが昂じて虐待の形になってしまうもの
どう対応していいのか分からずに、虐待になってしまうもの
苦しい思いが煮詰まって、虐待となってしまうもの

様々な思いが交錯して
知れば知るほど、なんともやりきれない気持ちになる。

虐待の連鎖もある。
以前、ひどい仕打ちを受けて、その立場が逆転するもの
同じく、別の対象に向かうもの


でも、どんな思いがそこに介在していたとしても
虐待は容認できないし、放っておけない。
なんとか状況の改善や、生活の分離を行なう。
少しでも、今より良い状態に、切ない状態がなくなるように。

なのに、虐待があると分かっていて
その場所へ帰らざるを得ないケースもある。
起こり得る状況が、容易に考えられるのにそうしなくてはならない。

そんなのって、適切な支援と言えるだろうか?


無理を承知で、保険者に相談に行った。
昨年にも一度、虐待相談をかけたケースだ。
経済的理由から在宅での生活を再開せざるを得ないケース。
だが、利用者の状態は1年前より悪化していて、以前にも増して虐待が増悪することが考えられる。
病気の受容を家族が出来ず、「自力困難」である事を納得できず
介護に時間が取られる事より、介護者が唯一心の糧にしてきたある活動に参加できなくなる事より、精神的な摩擦が利用者に向かう拍車をかける可能性が高い事。


いつものように
「実際、事が起こったときに保護しましょう。」
との意見。
「でも、ここまで解っていて、今対応できないというのは問題じゃないですか?」

いつもいつも思う。
何か起こってからでは遅い。
確かに、増加している虐待件数から全てを先回りして対応する事は難しいという保険者の言い分もあることは分かる。
でも、何か起きて明るみに至るまでに、どれ位の痛みや悲しみがそこに存在するというのだろう?


いつもいつも思う。
みんな丸投げで、対応に追われるのは私たち一事業所の職員や、生活分離を受け入れてくれた施設職員だ。
保険者の途中経過やその後のフォローがない。


数の多さも、保険者の対応も
どっちも頭が痛い。



そういえば
2年前、成年後見の自治体長の申し立てに対する予算が2件分しか組まれていない・・・・・と、聞いた。
あの頃に比べれば、ちっとはマシなのか?


在宅支援を行なう者として
その在宅から早急に引き離さなければならないケースが多い事は
正直、残念だしショックでもある。
何度も言うように、必ずしも自宅が幸せかというと
そうではないケースはある。
家族との生活よりも、第3者との生活の方がずっと尊厳を保てるケースはたくさんある。

時代の変化なのか、社会が病んでいるのか?



明日も走り回る事になるだろう。
(もう今日だ・・・・・)

何処まで行ったらいいのだろう?



上記のケース。
「事が起こったら、保護・特養に入所」
「もしくは、事が起きる以前に、今の段階で、本人を老健に保護入所し、配偶者を養護に措置入所」
・・・・・との話し合いにまで発展した。

今回、出来る限り保険者がどう動くのか見てみようと思う。

・・・・・実際、動いてくれるのか心配だけど。




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posted by 木下 小櫻 at 02:42 | Comment(6) | 仕事の話
この記事へのコメント
残念ながら虐待は このままでは増え続けると思う
日本の今の教育に 「父母 お年寄りを敬う」と言う事は教えてないし 大切にしょう!とも明確に謳ってはない

調和する事より 個性を伸ばす事を学校も社会も奨励し 認め合うよりも 自己主張する事を育ててる感じがする

そんな中で 教育で育った子どもたちが 親をお年寄りを大切に考えられるだろうか?


ナチスになるも 帝国主義になるも 優しい未来になるも おいらは「教育」だと思ってるよ だから福祉学習に顔出すんだ。。。
Posted by たけちゃん at 2008年05月24日 08:32
“たけちゃん”へ。

こんばんわ。
残念ながら、家族を尊敬している中でも虐待は起こっています。大事な人であったからこそ、起きてしまう虐待。
記事にもある通り、虐待は許されるものではありません。
でも、そこに介在するものを、被虐待者・虐待者の交錯する思いを知れば知るほど・・・・・
自分の支援が、いいのか・悪いのか判らなくなる事があります。
悪質な搾取から生活分離・保護を行なった事で、搾取していた当事者が命を絶った事もあります。
だからといって、搾取を容認すれば良かったとは思いません。
だけど、何が問題で何が答えなのか?
いつか頭おかしくなるんじゃないかと、思います。
でも、何の因果か自分で進んできた仕事ですから。
Posted by 木下 小櫻 at 2008年05月25日 00:05
お邪魔します。
度々目にするマネジメント不足の光景。最近関わった虐待事例であらためて思い知ること、

家族が利用者を追い込み
支援者が家族と利用者を追い込み
保険者がケアマネと家族と利用者を追い込む

そして誰も既に顕在化されている問題に気づかない、もう差し迫る最悪の未来に気づかない
結果として利用者が殺される

少なくともそういった事例に少しでも関わった者としてどこまで踏み込み、どこまで踏みとどまるべきなのか?
できればせめて解決されうよう全力を尽くしたいが、状況的に手をひかざるを得ないことに罪悪感を感じると同時に無力感も・・・・

特に虐待に関しては、関連機関の認識の一致が必要だと感じます。

未だ介護が社会化しているとはいえない状況、助け合う地域が崩壊していく現状
だから虐待がなくならないとすれば、福祉に関わる者として、少しでも虐待が少なくなるように何かをしなければならない。

できれば虐待された人を助けるより、起こらないような働きをしたい
そんなふうに思いました今日この頃です。
Posted by 大人になれない相談員 at 2008年05月25日 14:06
“大人になれない相談員”さんへ。

こんばんわ。コメントありがとうございます。

マネジメント不足の光景・・・・・身に詰まされます。
ケアマネはその自覚を持たなくてはならないと思います。話を聞いてくるだけなら誰でも出来る。
そこで、アクションを起こし状況の改善・解決をして初めてケアマネジメントを行なう専門職だと思います。
関係者の温度差についても、同じ意識に立ってもらう事が出来るように訴えて続けて行く事。
「分かって貰えない」なんて言っている場合じゃないですよね。

でも、訴え続けて、訴え続けて、それでも動いてもらえず“要経過観察”の2年の後に最悪に近い結果を迎えて、これだけ関係機関が事態を知っていて未然にもしくは被害が拡大する前に防げなかった事に対し「(保険者として)どう落とし前つけるの!」と言いに行った事がありました。
保険者の中でどんなケリをつけたのかは、分かりません。

以来、「怪しいと思ったら、即介入」をモットーに仕事をしたいと思っていますが・・・・・実際、介入後の展開が上手くいかない事が多いように感じます。それはケアマネの力量不足や調整不足、所内での連携不足です。

虐待が起こらないような働き。
一般には、マイナスイメージの虐待は隠される傾向にある。相談しようにも、相談できない現実がある。
対応が悪かったり、遅かったり、そんなつもりはなくても敷居が高いように映る様ではいけない。

その為には、自分たちも含め、関係機関がもっとオープンでないとダメですよね。


Posted by 木下 小櫻 at 2008年05月26日 01:41
こんばんは。暫くぶりに訪れました。
小櫻さんが、この場でこのような問題を語ってくださることで、こういった介護や福祉の問題があるということを私のように知識の浅い者でも知ることができます。ありがとうございます。

父が現在リハビリ施設(病院)に入院していますが、遠隔地で実質面は結局母任せで、深刻な問題とはまだ考えきれていませんでした。事実まだ深刻な状況には直面していないこともあります。父は、6月初旬に今の病院を退院し、母と二人暮らしの日々が始まります。その後は在宅でいながら週に3回ほどのデイケアへの通所が受けられるそうです。デイケア施設も決まり、ひとまずよかったと安心していましたが、今後在宅での生活が再開してみると問題が浮上してくることがあるかも知れません。

小櫻さんの話された虐待の話は、複雑であるし切ない話ですね。

高齢化社会の国日本の国民として、子どもだけでなく老若男女全体で、高齢化社会について勉強し直す時期が来ているのではと思いました。
児童教育と同じくらい重要な問題として、国家を挙げて取り組むべきではないかと感じています。

老人介護においても、もっと開かれた助け合い交流の場、あるいは気軽に愚痴れる場が持てるようになってゆけばと思います。実際にはそんな余裕はないというのが現場なのかも知れません。ならばまた別の場所に、そのような助け合いコミュニティのような場所が(そこを国が補助する等して)出来てくれれば良いのではないかと思いますが、素人の考えですので実現は難しいのでしょうか。



Posted by セシル at 2008年05月31日 23:38
“セシル”さんへ。

こんばんわ。お返事遅くなり申し訳ありません。
こんなblogから、深く考えてくださる方がいらっしゃるだけで救われる想いがします。
お父様は、そろそろ退院されたのでしょうか?週3回のデイケア、目的や意義・そして楽しみを感じる事が出来るような事業者さんであることを願います。
少しでもお元気になられる事を、こちらからも願っております。

教育の問題もそうですが、高齢化社会・介護問題などについて、セシルさん仰るように助け合いのコミュニティが出来ると、直面している現実から少しでも、一歩でも踏み出せる事が出来るのではないかと思います。
実際、生活に直面しないとなかなか介護の事に関しては周知されないのが現状です。
しかし、今あるサービス(フォーマルもインフォーマルも含めて)だけでは、今後行き詰る事は目に見えており、私の知るケースからもマンパワー的な事や経済的問題・制度的な問題・・・様々な理由で必要な支援が受けられない方がたくさんいます。
相談や気持ちを表出する事さえ出来ず、ただただ呆然としていたり、立ちすくんでいたり・・・

直面している方たちだけでなく、地域全体で考えて行く事が必要だと思います。
だからこそ、国を挙げて取り組みを勧めてほしいものです。

地域社会で助け合う。
理想論のようですが、真剣にそんな事を考えている人たちもいます。
セシルさんや、ご両親の近くにもそんな方がおそらくいて、何らかの取り組みをされているかもしれません。
Posted by 木下 小櫻 at 2008年06月03日 23:22
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