2012年12月03日

本当にケアプラン様式の変更(ケアマネジメントの考え方の変更)をケアマネジャーは受け入れるのか?

第6回まで終了している、厚生労働省における「ケアマネジャーの資質向上と今後のあり方に関する検討委員会」では、議論が収拾に負えない状況の中パブリックコメントを募集しその後の動向がさっぱり見えてこない。
だいたい、これだけ回数を重ねてなお、ケアプランの質とケアマネジャーの資質を混同し、その指導育成を地域ケア会議のあり方まで歪曲し地域に丸投げしよう・・・だなんて、責任放棄に思えるのは私だけだろうか。

そもそも、議論の始めからおかしいのだ。

ICFの考え方は覆され、利用者主体を著しく損なっている新しいケアプラン様式を推奨しようとするその本当の意味は何なのだろうか。つまり、介護保険の理念を根幹から覆そうとしているのだ。
私たちは、「利用者の意欲」に着目・もしくは精一杯意欲を引き出そうとしてきた。
それが、要介護状態を改善できず介護サービス費の上昇を抑えられない原因だ・・・なんて、甚だ現実も現場も知らない、まったくケアマネジャーを知らない人が集まって議論しているだけに過ぎない事を露呈しているだけである。
“「利用者の〜したい」ばかり取り上げているから、状態が改善しない”と言われる根拠はどこから来たのだろうか?私たちは、利用者の口から「〜したい」とすべてにおいて聴けているとでも思っているのであろうか?高齢者は、すべて前向きで、もしくは現実をかえりみずに「〜したい」と言っているとでも思っているのであろうか?

私たち、ケアマネジャーが利用者から「〜したい」と聞き出すには、または「せめて〜したい。〜する。」と聞き出す、もしくは感じるとるには、かなりの努力をする。何故なら、これがケアマネジメントでいちばん重要なアセスメントだからである。
最初から「〜したい」なんて言う高齢者はほとんどいない。
現状をよく知り、問題点を理解し、でもそこにあるその人の強みや素敵なところを見つける。そして、困りごとは何か、それはどうしてなのか、だからどうしたいのか。何故そうしたいのか。
そうしてやっとのことで、「そんだなぁ、じゃぁこのくらいのことは〜したいなぁ」
これだけのことが聴くことが出来れば上等である。
私たちが、日々目の当たりにしている利用者は、例えば生活意欲がまったく持てないほどに落胆していたり、意思疎通が困難だったり、自発的な感情の起伏が揺れがかすかだったり、虐待を受けていたり、家族に遠慮していたり・・・そんな人々が大半である。
では、「せめてもの現状維持を望むこと」は、その人にとって強みではないだろうか?
言語として意欲を話すことが困難な人の日常の様子や、雰囲気・表情・しぐさから、この人の心地よさ・安心すること、「こうあってほしい」と願うことは、その人自身の強みではないだろうか?
例えば、何かしら自身の思いや希望があってもなお、家族を気遣い自らは多くを語らず黙って過ごすことはその人の強みではないだろうか?
“弱者にストレングス・エンパワメントを求めるのは酷ではないか”という論調があると聴いている。その論調は仕組まれたものではないだろうか?
大体、高齢者でなくともである。老若男女問わず、「〜したい」「〜したい」と自分の希望ばかり言う人が、この日本という国において、そんなにいるか?
そのなかなか「〜したい」と表現されないものを一緒にアセスメントを行なっていく中で共有し、いいところを見つけて、意欲に転換していく・・・これが、ケアマネジャーの専門性、つまりはプロとして認められるところではないだろうか。

新ケアプラン様式は、義務化はされないと聞いている。
でも、国でそれを提示すれば、保険者によっては当然それを使えと言ってくることも多いでしょう。何も未だ決定はないのにもかかわらず、新ケアプラン様式に随行した講演を行なう講師まで出ている。

ケアマネジャーは、「また、ケアプランが変わる。監査に引っ掛かりたくない。今度の方法を習得しなきゃ」と、大半の人がそう思い焦るでしょう・・・。
何故、そこで疑問に思わないのでしょう。または疑問を感じても大きな流れに逆らえないのは何故でしょう。
何故、パブリックコメントを募集していると聞いても、何もしないのでしょう。諦めているから?
パブリックコメントを送るから、全職員記入してくださいと言っても、「何の説明もないから書けない」と言うのは、自らの問題として、国で厚生労働省で何が議論され何が目論まれているのかを捉えていないからではないでしょうか?問題提起をされなければ、情報をキャッチしようともしてないだけではないでしょうか。
「意見を言って、睨まれたら監査に引っ掛かる」から言えない・・・それは、何故?

だから、ケアマネジャーはいつまでたっても「プロ」ではない、と言われ、「専門職」でもない。そう言われるのではないの?
結果として、専門性が発揮出来ないのであれば給付抑制の対象としてその先に「ケアマネジャー外し」があるのではないの?


「自助共助公助」と国が謳うその先に、明るい未来はありますか?
生活保護法に関してもそうです。生活保護基準が高いのではなくて、最低賃金を上げていくべきです。ワーキングプアと呼ばれる現状の方を改善すべきです。

ケアマネジャーをめぐる現状について、私が希望するのは、単にケアマネジャー個人に負担を課すような研修体系のあり方ではなく、まず国から都道府県から、そして委託される研修実施機関において、一貫した介護保険の理念の継承、利用者主体を貫いたケアマネジメントの方法論・展開に関する指導者育成、そして現場の生の声が還元される仕組みづくり。
絵空事でもなく、絵に描いた餅でもなく、机上の空論でもない。
形ばかりではない、開催だけが目的でない。
現場のケアマネジャーが、育ち守られる研修。

現場に出向いたことも、現場のケアマネジャーと真剣に話し合ったこともない人たちに、私たちの未来を、利用者の明日を決めないで欲しい。





小櫻の独り言


ケアマネジャーの資質向上と今後のあり方に関する検討会・・・とは、何のために存在しているのだろう。
あれも、税金で運営されているのだよね?
事業仕分けじゃないけど、議論そのものを撤回して欲しいよ。
毎回の議論の中身・・・みんな勝手バラバラで、本当に遠いお空の彼方で喋っている。
本当に、私たちを知らないんだ。
ほんのちょっとのケアプラン(一体ドコの?)を見ただけで、全国のケアマネジャーのケアプランを知った気にならないでよ。
モデルプランと称するなら、ちゃんとしたもの掲載しなさいよ。誤解を生むでしょうよ。
ああ、そんな事で、私たちの仕事を弄繰り回さないでよ。



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posted by 木下 小櫻 at 02:19 | Comment(0) | ケアマネジメント

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