2012年02月21日

ストレングス・エンパワメント・ポジティブプランとは・・・

平成24年度介護保険改正から3年を掛けて、「ケアマネジメントの質の向上」を謳いケアプランの様式の変更等に関する検討委員会が立ち上がるらしい。
もう立ち上がっているのかもしれない。

何でも、ここ最近の社会福祉業界において、「ストレングス」「エンパワメント」「ポジティブプラン」に異を唱える論調が多くなっているという。

私は、この「異を唱える論調」にこそ異を唱えたい。

そもそも、介護保険法におけるケアマネジメントの質の向上について、これまで国をはじめ各行政・各保険者・各居宅介護支援事業者、そして我々一個人が、本気になって取り組んできたのだろうか?
少なくとも、私の事業所では遅れながらここ3年ほど掛けて、この「ポジティブプラン」の本質について検討し、実際に取り組みを行なってきた。
しかしながら、それは我が事業所内に限った事で、そこから更に発信することもなくきてしまった。

ポジティブプランに関して、ここにきて全国的な批判が集中し、今後3年間掛けて「ケアプランの標準化」と題して個別性のないケアプラン作成に逆戻りしようとしているのは、あまりにも安易過ぎる。

ケアマネジメントを行なううえで、その利用者の望む暮らしに着目し、その実現に向けて、実現可能なものを描いていく。
これは、絵空事でも何でもない。その人が、よりその人らしく生きていくためのものである。

ここで、重要なのは、何も○○したいという表明されるものだけを記載するわけではない。
書き方ばかりがクローズアップされ、ポジティブプランの、あるいはストレングスやエンパワメントの本質を理解していないから、治療モデルに走ろうだなんて訳の分からない路線になる。

ケアマネジメントの出発点はアセスメントであり、アセスメントに終わる。
このアセスメントで、しっかりとその人のライフヒストリーやこれまで大事にしてきたこと、そして現在の生活ぶり・現状を知り、そこに起きている問題点を把握する。
ここが、しっかり整理されていないと、ポジティブプランは現在の世の中の論調のように形ばかり、書き方ばかりの宙に浮いたものになってしまう。
「意欲を表明できない人」や、「意向そのものを訴えられない人」に対するプランが出来ない・・・といった見解もこのあたりに問題があるはずだ。

何故なら、私も3年前、同じように悩んだからだ。

今は、胸を張って言える。

重度の認知症でも、意欲が沸かない人でも、意向を語ることが出来ない人でも、
その人に寄り添った、実現可能なポジティブプランは出来る。

アセスメントで、しっかりとその人のライフヒストリーやこれまで大事にしてきたこと、そして現在の生活ぶり・現状を知り、そこに起きている問題点を把握する。
「本当はこうしたい」「出来ればこうありたい」「こうであって欲しい」「せめてこのくらいは」
形はどうであれ、現状に対する思いはあり、そこに願いはある。
寝たきりであっても、精神活動が不活発であっても、そこから汲み取るのが私たちの専門性ではないだろうか。
意欲や意向が現実的に実現不可能なら、もしくは現状を適切に認識できないために不適切な状況が当たり前になってしまっていたら、
そこに働きかけ、少しでも現状からよりその人らしい暮らしへ、少しでも心地よく過ごせる暮らしへと、説得するのではなく納得・合意・同意できるように支援することが私たちの役割ではないだろうか?
ポジティブプランとは、こういったことを具現化するものではないだろうか?

決して、○○したい ○○したい と、書き方だけを追いかけているのではなく、
現状から得た生活上の困りごと・問題点があり、そこに専門職としての見立てが加わり、利用者とともに、それが改善できたらどんな風に暮らしたいのか、そのために何をするのか・・・
こういったことが、ポジティブプランである。
認知症でも、寝たきりでも有効である。

決して、絵空事ではないのだ。

しかし、最近の論調は恐ろしい。
ストレングスについて、「強い個人」を指すのだそうだ。
ストレングスとは「強い個人になること」ではない。
つまり、○○したいと、自分の意思を持って強く主張し、それに向かって突き進むこと・・・ではない。

例えば、「自分はこうしたい」「こうありたい」と多くを願わずとも、黙って周囲の成り行きを見守ることだってその人の強みであり、周囲の気持ちを受け入れる事だって強みであり、誰かを気遣って自分を抑える事だって強みである。
いつもいつも365日変わらぬ毎日を送る事だって強みだし、
なかなか気持ちの通わぬ家族を信じ続ける事だって強みだし、
裏切られても、騙されても、笑顔でいる事だって強みだし、
諦めることだって強みだと思う。

大事なのは、それが起きている現状や背景の理解。そして専門職としての見立てと必要な支援の検討。
そして、そんな中でも、少しでもその人らしく、少しでも気持ちよく、
大事にしているものが守られるように関わる事が私たちに求められていることだ。

そして、専門職として、そうはいっても現状を回避しなくてはならない選択を迫られることがある。
命にかかわることや、虐待などがそれにあたる。
その線引きだって、やはり現状をしっかりと私たちが理解・把握しているかに掛かっている。

プランのあり方や、書き方論を展開する前に、
介護支援専門員として、本来私たちは何をするべきなのか、何を求められているのか、
まずそこに立ち返るべきではないだろうか?

ケアマネジメントの質が悪い・・・そういって、じゃあ問題解決型・治療モデルに戻しましょうではお粗末過ぎる。

専門職というからには、私たち介護支援専門員が自分たちの仕事とは何か?ケアマネジメントとは何かを、もう一度振り返り、
自分たちがお互いに勉強し、高めあい、次世代に繋いでいかなくてはならないはずだ。

介護保険の理念を、根幹を忘れないで欲しい。
今後、3年間掛けてケアマネジメントの質・ケアプランの様式変更を目論見、検討委員会が立ち上がる。
どうぞ、介護保険とは何故始まったのか、そこに掲げられているものはなんだったのか、
そこからぶれることのない様にして欲しい。
それが、ケアマネジャーが社会的に認められる事に繋がるでしょうから。





小櫻の独り言


先日、今回のこの投稿の標題について講演があった。

しかし、ひどかった。
その講師は、ケアプランの標準化について、利用者の現状における問題点を羅列したケアプランをスクリーンに映し出し、「こう書けば、誰もが同じケアプランを作れる」と言った。

ニーズに書かれたものは、現状。(腰が痛い・舌苔がある・・・)
長期目標、「この際書かなくていい」と言い放った。
短期目標、サービス内容・・・単語の羅列

そこには個別性もその人らしさもない。
っていうか、ニーズに「舌苔がある」なんて書かれたケアプラン渡されて、誰が喜ぶんだよ!
っていうか、そんなケアプラン渡されたら、羞恥心で逃げたくなるよ!

あの場に居合わせた現場の介護支援専門員全員が、「そりゃねぇだろう?」と思った。

あんな講師が、全国回って、あの論調を展開されたら、この世はどうなるのだろうと思う。
この講師の主観なのか、でもあのように自信たっぷりに演壇に立つって事は、すでに国があの論調なのかと思うとゾッとした。
だとしたら、この世の介護支援専門員はみんな国に存在価値を殺されてしまう。





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posted by 木下 小櫻 at 03:42 | Comment(0) | ケアマネジメント

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