2009年09月21日

学校運営に携わって

あんなにモチベーション上げてスクーリングから帰ってきたというのに、
やばいぞ?っていう位、何もしておりません・・・・・


今年は、大殺界か???
と、思う位、次から次へと何かが起きる。

今月は特にそう。

確かに、スクーリング前、
「1週間くらい不在だからね。帰ってくるまで待っていてね!」
・・・・・確かに、利用者みんなに声を掛けて出掛けた。

・・・・・みんな
見事に待ってました。


ありがとう!!みんな。
こんな、しがないケアマネジャーを待っていてくれて!!


・・・・・すごいっすよ。

1年以上ぶりに在宅復帰を果たす、老健入所者。
約1ヶ月くらい前に入院した利用者が、リハビリを頑張って、まとめて3人退院してくる。
(エンパワメント・ストレングスだぁぁぁぁっ)
老老介護で、やっとの状態だった夫婦が、妻の老衰を迎えつつあり
療養型の病院と、老健のご好意で、同日入院・入所。
もう老衰を迎えつつあった透析の利用者に、IVH・胃ろうが造設されて帰ってくる・・・・・(可哀想だと思ってます。)


今月前半、あっという間に過ぎた。

気がつけば、シルバーウィーク

今月、まだ利用票配っていない。まずい〜〜〜。



前々から、いつかは児童へ・・・・・と、思っていた私。
自分の生い立ちが・トラウマが、
多分、そこを乗り越えないと、私は今以上の成長が望めない。

そんな気がしていて、
それは、やっぱり、今でもそう思っている。

きっと、担当とする利用者がいるうちは、自分から離れる事は出来ないけど、
法人の組織の一員として、異動の話が上がった時に
もしかしたら、考えてみようか・・・・・とも、思っている。


今年、何故かPTA役員を引き受けた。
長い事、何も引き受けてこなかったし、いつまでも逃げていられない
そう思って、最初は引き受けた。
あくまで、最初は「順番だし、仕方がないな。」程度だった。


でも、最近考えが変わった。

今の、学校を支える役員や校長先生をはじめとする先生方が
本当に良く、子どもたちの事を考えている事が伝わってくる。
多忙だ、激務だ、という中、
それぞれ時間を作って、
自分たちはもちろん、
地域の人達にも、子どもに関心を持ってもらい、見守ってもらおうと
一生懸命になっている。

子どもたちは、そんな思いをきちんと受け止めているのか、
それぞれ、その子なりのしっかりとした考えを持っている。


人の思いに乗っかりやすい私。
特に、一生懸命な人に弱い。


ああ、やっぱりハマッテシマッタ。


この時代に、あのように学校の子どもたちに一生懸命な人達に触発されて、
つい、私も出来る限りのことをしてしまう。


忙しいって言葉は使いたくない。
「私は忙しいから、話しかけないで下さい。」って、まるで背中に貼り紙貼っているような人にはなりたくない。


だから、もう少し頑張りたい。


だって、あんなに一生懸命に子どもたちの事を考えてくれる。
そんな人達見ちゃったら
着いていきたくなるじゃない。



だから、やっぱり社福士の勉強もきちんとしたい。


少しでも、
誰もが暮らしやすい、
誰もが、その人の人生において主役になれるように、

少しでも、みんなに近づけますように。



(そして、明日は試合です・・・・・
 練習も、ろくに行けてないのに、大丈夫か?私!)





参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ
posted by 木下 小櫻 at 00:06 | Comment(3) | 社会福祉士の勉強

2009年09月08日

手紙 〜受容と喪失の狭間で〜

「最近は、家族の誰もがお父さんを怒らなくなった。」


担当を開始して1年以上経過する、ある若年性アルツハイマーの方のお宅へ伺った時、介護者が話してくれた。

その顔は、本当に穏やかであり、
でも、瞳の奥に寂しさが見え隠れしている。


若年性であるが故に、まさか認知症とは家族の誰もが思っていなかった。
正確には、脳裏をかすめる受け入れたくない疑いを掻き消すかのように、「お父さん」に家族の力で叱咤激励をしていた。

介入できたときは、もう認知症がかなり進んでいる状態だった。
そして、正確に表現するなら「虐待」が起きていた事実が、すでに経過した時の中で起きていた。


何度も繰り返すが、大事な家族であるが故に認めたくない真実を打ち消すように、結果起こる虐待は存在する。


その事実に苦しみながら、介護者はその時々の心情を包み隠さずに話してくれた。
怖い思いも、憎い思いも、悲しい思いも、混乱する思いも。

いつも正直に語ってもらった事は、担当する私にとって幸いな事だった。
どんな風に関わればいいのか、
利用者の心情は、感情は、どの部分が残り、どの部分が嬉しく思い、どの部分が傷つくのか・・・・・
その時、その時、状況に合わせた話をする事が出来、
近く起こり得ることを伝える事が出来た。


真摯な介護者は、こんなしがないケアマネの話をよく聴いてくれ、
そして主治医の助言をよく聴いた。


「やっと、素直に介護や認知症の特集が見れるようになった。」


そういう介護者は、ほんの少し前まで、

介護特集の番組は見れない、
認知症を支える家族の会の会員の話も素直に聴けない、
もっと進行した症状の人や、別の疾患の介護をしている人の話を聞いては、うちはまだいいのかな?と思ってきた、

そんな風に言っていた。


その渦中にある人にとって、芯をつく話は受け入れられない段階というものがあると思っている。
方法論的なものや、感情のコントロールなど
どんなにそうした方がいいと、解っていても受け入れられない事がある。

これは、当然の心理であると思う。


どんなにそれがいいと解っていても、
介護でなくとも、どうしても受容できないモノは人それぞれある。
または、受容できない時代が人それぞれある。


大事なのは、
受容を強要するのではなく、
その受容が出来ない、まんまの状況・心理を、
私たち専門職が、そのまま受容することだと思う。

そして、その人が、その家族が
社会の一員であり続けることが出来るように、
一進一退を繰り返しながら、その時々の心情・気持ちに寄り添いながら、少しだけ家族である事を思い返せるような言葉掛けをする。


私たちに出来る事なんて、そんな事位ではないだろうか?


言葉は人の心に届いてこそ、初めて意味を持つ。



難しい話なんかではなく、
ほんのちょっとでも、顔を起こせるような言葉掛けを
いつも出来る人になりたいです。

(もちろん、危機介入や沈黙の援助も大事です。)



笑顔で、怒らないで介護できるようになった介護者家族は、
本当に穏やかに暮らしています。

でも、
「私が知っている夫はもういないのよね?」

受容することは、喪失にもとれる感情を抱き合わせるのかもしれません。


子供のように可愛い・・・・・
そんな風に漏らしている、介護者。

私がこれから掛けていく言葉は、
「夫」である事を、当然にあるものと思えるように働きかける事かもしれない。

・・・・・そんな風に、思っています。



「手紙」という唄が、少し前から広く知られてきています。

おそらく、介護に携わる多くの方が共感し、涙する中、
受容できない人もいると聞きます。

それは、その人その人の、
おかれた状況や、背景、いろんな事や思いが複雑に関係して、
湧き上がってくる、素直な感情だと思います。


人の思いには、段階があるのかもしれません。


この唄だけでなく、いろんな事柄が受け入れられる、
その過程を、肯定するでも否定するでもなく、
寄り添える事ができる

そんな風になれるといいのかもしれません。





参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ
posted by 木下 小櫻 at 03:24 | Comment(0) | 認知症

2009年09月06日

幼児体験 〜あなたも私から離れるんでしょ!?〜

何事にも、どんどん身近な人や、関わるすべての人を攻撃してしまう人がいる。

事実ではない、その人にとっての真実が絶対唯一であり
捻じ曲がった事実を幾度となく
突きつけられ、なじられ、攻撃されて

いつも、結果、その人の廻りには誰もいなくなってしまう。


「何ヶ所も転々とし、どこも引き受けない・・・・・」


保険者から、いつものように連絡がきた。
こんなフレーズから始まる依頼は、大概ろくな事がないから断れと上からは言われた。

拒否する事は、たぶん簡単だった。

でも、本来困っている人・接近困難な事例
そういった対象を避けていては、
じゃあ、福祉っていったい何?
私がやっている仕事は何?

そんな原点から、なし崩し的になってしまう。


長く続くか確約は出来ない事を保険者に伝えた上で、担当を受ける事にした。


何故、これまで関わってきた事業者が続かなかったのか
その理由は、すぐに解った。

前述した事が頻繁に起こるのだった。


精神的に追い込まれ、担当を外れるだけでなく
もう、この業界の仕事そのものに就く事が出来なくなった専門職が多数続出していた。
それほどまでの攻撃をする人だった。


何故、そうしてまで廻りの人を攻撃するのか?
その事だけが気になった。


支援の手は、絶対に切ることが出来ない症状を持っている人。


前日と、当日と、翌日と・・・・・
次々に違う要求を出し、すたっふが分からないと攻撃する。
スタッフ間のことも、お互いが仲違いする様な嘘を吹聴し、
それに嵌まってしまうスタッフも何人も出る。


「あなたも、私から逃げる?」


・・・・・この人は、あまりにも孤独だと思った。



詳細は掲載しないが、
幼児期に身近な人を理不尽な理由で奪われ、
自分の思いは、自分の中に閉じ込め、

現在では、あまり考えられないような時代に
今、当たり前の権利も、有り得なかったその人は、

きっと、誰の事も信用していない。
本当は、誰かに傍にいて欲しい。

だから、本当にその相手が自分の傍から離れていかないか?
どんな、酷い事をしても
どんな、理不尽な事を突きつけても

本当に、自分の前から「コイツ」はいなくならないか・・・・・



そう思っているのだと、強く感じた。


上層部から、そんな契約打ち切れと言われながら
今でも私は、その事例の担当を続けている。

毎月、驚くような
その人にとっての真実で
私にとっては、作られた真実を突きつけられる。


でも、この孤独な人をおいて私は逃げれない。


人間福祉学科の教授が
「木下はエライね。ちゃんとワーカーやっているね。」
そんな事を言っていた。

偉くも、ちゃんとやっている訳でもない。
本当にそれでいいのかも分からない。


自分で背負いきろうと思っている訳でもない。


ただ、この絶対に支援の手を滞らせてはいけない人の支援を
どうしたら切れる事なく、提供し続けていく事が出来るのか、

保険者を含め、考えなくてはいけないと思う。






参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ



posted by 木下 小櫻 at 01:59 | Comment(0) | 人格形成

2009年08月17日

エピソード記憶のすり替え

その兄妹は、両親が亡くなってからずっと2人きりだった。



白衣の堕天使に、いつかアップした事のある兄妹は、現在もう2人暮らしは出来ない状況になってしまった。

精神発達遅滞で自宅の外の世界をほとんど知らない兄を妹が長年介護してきた。
そして、その妹の認知症がかなり進行してしまった。

おそらく、私がもっと早くに手を打つべきだったのかもしれない。


主介護者であった妹は、きっと自分を守るために
自分や自分の家柄を、誇大的に表現する人だった。
通常、考えられない話を、何度も何度も繰り返し手当たりしだいいろんな人に話す。
著名な人物や、皇族・強い肩書きを持つ職種
いろんな人と、自分たちは血のつながりがあると、会うたびに話すため
どんどん人が寄り付かなくなってしまった。

おそらく性格的なもの
正確には、防衛的に作られた性格・人格とでも言うのだろうか?

もともとは、そんな感じだった。


何度も繰り返され、
兄の話をしても、すぐに自分の話に変わってしまう。

もともと病的だったのか、
それとも、どこかから変化が出たのか
今となっては、分からない。


私が気になり始めたのは、日に何度も同じ話の電話が来るようになった事。
約束の日時を忘れるようになった事。

妹が、認知症になったら生活が出来なくなるな・・・・・


そんな風に思って、相談だけは掛けておいた。




そして、生活破綻は突然にやってきた。

いや、突然に思っただけかもしれない。
本当は、着々と始まっていたのかもしれない。


ある日、糞尿まみれの状態でデイサービス職員が発見し
とにかく、シーツにくるんでデイサービスへ連れて行った。
下痢が酷く、本人だけでなく室内中が糞尿だらけで
その中に食事がおかれていた。
虫という虫が飛び回り
とても、自宅に帰せる状態ではなかった。


そして、その状況を妹に伝え、現場で話をしても
「何が、困る状況なの?」
と、理解できない。

兄本人を病院に保護してもらい、とりあえず消化器症状の改善を依頼。

入院の際に、妹に立ち会ってもらうが
持参した衣類にも、尿便が付着。
見てもらい、臭いをかいでもらっても、理解が出来ない。



妹の介護申請も行い、自治体長による成年後見申請を依頼した。



その後も何度か私のところへ妹から電話があった。


何度目かの電話で、
「いい加減歳だし、病院へお願いした。
 私の人脈があれば、医者でもなんで言う事を聴くんだから」


すっかり、どんな経緯で入院保護などといった事態になったのか忘れてしまっていた。

「ウチは由緒あるし、はやく帰ってこさせないと可愛そうでしょ?」

未だに、糞尿まみれで蛆のわいた家で、妹は言う。



今後、この兄妹がどう生活していくのか
思うとおりには、してあげられない状況をどう進めていくのか
なお、検討中です。




参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ









posted by 木下 小櫻 at 06:09 | Comment(0) | 人格形成

2009年05月27日

ノーマライゼーション

ノーマライゼーション(normalization)は1960年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つ。障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。


話は、同業者の友人からの1本の電話から始まった。

「近所に障がい者の施設が出来るんだって。
 今、(地区の)みんなで反対しているの。
 だって、何かあったら怖いじゃん?
 どういう(人が入る)施設か知っていたら教えて。」


友人の言葉に違和感を覚えながらも、
その件について少し調べてみた。

知的障がい者の入居施設が、市内のある地区に出来るとの話だった。
新しく出来るのかと思ったら、もともと郊外にあったものが老朽化したので、新しい建物を求めて動いていたところであったらしい。

自治体の担当課の方が
声を曇らせながら、でも憤りを隠せない様子で語ってくれた。

「その話、白紙になったの。
 住民の大運動でね。
 そりゃ、もう「化け物」扱いだった。」



何故、こういう事が起きるのだろう。
身近にも、全国的にも。そして世界的にも。

ノーマライゼーションが謳われてだいぶ経つが
やっぱり、地域に浸透なんてこれっぽちもしていない。
同業者の友人ですら、理屈は分かっていても
いざ、身近なこととなれば別問題のようだった。


確かに、事件なども報道されていて
住民の不安がある事は否めないかもしれない。

しかし、何故そういった差別や偏見・蔑視が起きるのか。
何故に、悲しい事件が起きてきた経過があったのか。
入所者やその対象者へのメンタルなケアは行き届いていたのか。
報道は、何故一方的でしかないのか。

すべての人間が、同じように生きていく事が
当然に普通でなくなってしまっているのか。


措置し、保護し、隔離してきてしまった歴史を
地域が、ひとりひとりが考える機会がないのは何故か。


「地域に理解を求める
 住民に話していくって、大変だね。」



業務外の事だったが、一挙にブルーになった。

地域で共に生きていく。
そんな当たり前のことが叫ばれてなお
現実は厳しい。

地域の受け皿がないまま
地域への働きかけがないまま
理念だけが、あっちへ、こっちへ
右往左往している。


あらためて、自分が目指すものの困難さを目の当たりにする。


ちょっと、話はズレるが
大手巨大掲示板にALSのスレッドがあった。
真剣に利用している人が多い中、
故意に誹謗中傷を書き込む人がいるのも事実。

ALSをはじめ、多くの神経難病の方と接する機会をいただいてきた私にとって
その心無い書き込みは、言葉を失うものでしかなかった。


このネットが繋ぐもの。
そこに不特定多数であれ、ある特定の個人や団体であれ
個人特定が出来ない事をいい事に
心無い事を、本気であれ、悪ふざけであれ
そんな事をする人が、実際数かなりいて

きっと、現実社会にだって今回の事のような出来事は多くあって

悲しみと憎しみと、むなしさで


そんな人を、きっと私は許せなくて


でも、ちっぽけな私は
やっぱり、このネット上のツールを使って
こんな風にしか、情報発信も訴える事も出来ない。



こんな事じゃ、何も変わらない。
こんな事じゃ、私もただの愚痴こぼしや、傍観者。

誹謗中傷する人間よりも、悪いかもしれない。



ノーマライゼーション

訴え続けるには、相当な努力と根気。
そして、絶対的に熱意が必要。


人を、人の気持ちを動かす力は
やっぱり気持ちだ。そしてエネルギー。



課題は、山のようにある。





参加してます にほんブログ村 介護ブログへ ブログランキングへ



posted by 木下 小櫻 at 01:56 | Comment(0) | 勝手に介護福祉未来構想