2009年05月27日

ノーマライゼーション

ノーマライゼーション(normalization)は1960年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つ。障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。


話は、同業者の友人からの1本の電話から始まった。

「近所に障がい者の施設が出来るんだって。
 今、(地区の)みんなで反対しているの。
 だって、何かあったら怖いじゃん?
 どういう(人が入る)施設か知っていたら教えて。」


友人の言葉に違和感を覚えながらも、
その件について少し調べてみた。

知的障がい者の入居施設が、市内のある地区に出来るとの話だった。
新しく出来るのかと思ったら、もともと郊外にあったものが老朽化したので、新しい建物を求めて動いていたところであったらしい。

自治体の担当課の方が
声を曇らせながら、でも憤りを隠せない様子で語ってくれた。

「その話、白紙になったの。
 住民の大運動でね。
 そりゃ、もう「化け物」扱いだった。」



何故、こういう事が起きるのだろう。
身近にも、全国的にも。そして世界的にも。

ノーマライゼーションが謳われてだいぶ経つが
やっぱり、地域に浸透なんてこれっぽちもしていない。
同業者の友人ですら、理屈は分かっていても
いざ、身近なこととなれば別問題のようだった。


確かに、事件なども報道されていて
住民の不安がある事は否めないかもしれない。

しかし、何故そういった差別や偏見・蔑視が起きるのか。
何故に、悲しい事件が起きてきた経過があったのか。
入所者やその対象者へのメンタルなケアは行き届いていたのか。
報道は、何故一方的でしかないのか。

すべての人間が、同じように生きていく事が
当然に普通でなくなってしまっているのか。


措置し、保護し、隔離してきてしまった歴史を
地域が、ひとりひとりが考える機会がないのは何故か。


「地域に理解を求める
 住民に話していくって、大変だね。」



業務外の事だったが、一挙にブルーになった。

地域で共に生きていく。
そんな当たり前のことが叫ばれてなお
現実は厳しい。

地域の受け皿がないまま
地域への働きかけがないまま
理念だけが、あっちへ、こっちへ
右往左往している。


あらためて、自分が目指すものの困難さを目の当たりにする。


ちょっと、話はズレるが
大手巨大掲示板にALSのスレッドがあった。
真剣に利用している人が多い中、
故意に誹謗中傷を書き込む人がいるのも事実。

ALSをはじめ、多くの神経難病の方と接する機会をいただいてきた私にとって
その心無い書き込みは、言葉を失うものでしかなかった。


このネットが繋ぐもの。
そこに不特定多数であれ、ある特定の個人や団体であれ
個人特定が出来ない事をいい事に
心無い事を、本気であれ、悪ふざけであれ
そんな事をする人が、実際数かなりいて

きっと、現実社会にだって今回の事のような出来事は多くあって

悲しみと憎しみと、むなしさで


そんな人を、きっと私は許せなくて


でも、ちっぽけな私は
やっぱり、このネット上のツールを使って
こんな風にしか、情報発信も訴える事も出来ない。



こんな事じゃ、何も変わらない。
こんな事じゃ、私もただの愚痴こぼしや、傍観者。

誹謗中傷する人間よりも、悪いかもしれない。



ノーマライゼーション

訴え続けるには、相当な努力と根気。
そして、絶対的に熱意が必要。


人を、人の気持ちを動かす力は
やっぱり気持ちだ。そしてエネルギー。



課題は、山のようにある。





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posted by 木下 小櫻 at 01:56 | Comment(0) | 勝手に介護福祉未来構想

2009年04月16日

自分が自分で解らない。

自分はまだ大丈夫。
自分はしっかりしている。
友達や姉妹が呆けても、自分は絶対有り得ない。
自分がそんなはずない。


でも、最近自分が何をしていたのか分からなくなった。
買い物に行ったら、帰って来れなくなった。
探したいものが、見つからない。
探したいものは、何だったか分からない。
台所には、同じ惣菜が置いてある。
支払い後、レジ袋に詰めていると、買い物カゴから同じ惣菜が3つ出てきた。
書類に何が書いてあるのか分からない。
捨ててイイのか、必要なのか分からないから捨てられない。
知らない人の車に乗って怒られた。
鍵を掛けたのか?火を消したのか?
不安で不安で仕方が無い。
何回も確認しに戻る。いつまでたっても出掛けられない。

いつもと違うと、ドキドキする。
知らない事があると、ドカドカしてパニックになる。
何を私に聞いたの?
私の頭は真っ白。

私は何をしたいの?
私は誰になっていくの?

心配だから、カレンダーに今日あった事を書き留める。
後で見ると、同じ事が書いてある。
何を書いているのか分からないところが多い。

自分が自分で解らない。
自分は自分で自分なの?

くやしくって、切なくって、情けない。

こんなになった私を見られたくない。
グチャグチャになった家の中を見られたくない。




・・・・・最近は、認知症がグッと進んで居宅として関わるケースが多かった。
何しろ、認知症であることを家族が隠したがったり
発見自体が遅くなったり、
民間療法で介入するまもなく悪化していたり。

今回の新規利用者は、
まさしく混乱の最中にいて、いちばん苦しい時期をもがき苦しんでいた。
申請そのものを拒否していたが、
親族への関わりがきっかけで面識のあった私にだったら、今のありのまままの姿を見せてもいいと決意したようだった。


しっかりしているとアピールしたり
不安を吐露して涙ぐんだり
揺れ動いているのが、アリアリとしている。

不確かな自分

きっと、この上怖い事はない。


誰かを支える事が出来る人に、私はなれるのだろうか?




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posted by 木下 小櫻 at 01:31 | Comment(0) | 不安を呷るモノ

2009年03月17日

意欲を導き出すアセスメント用紙製作中

大変、ご無沙汰しております。


blogに厭きた訳ではありません。(あしからず・・・・・)
業務上、忙しくて、
日中もアセスメント
休日もアセスメント
もちろん深夜もアセスメント
今夜もお前をアセスメント
・・・・・あ〜、頭おかしくなりそう。

現在、この世に存在する介護保険のアセスメントツールは
何を使っても分かりづらい。
問題志向型にしかならない。

以前から、独自製作のものを使用していたが
それも、やはり問題志向型である指摘を受け、
介護保険そのものの生みの親による直接指導の下、
「意欲を引き出すアセスメント」現在、考案から試用期間に突入中。

不思議なほど、意欲が見える。
また、導き出せない部分については、なんらかの弊害・阻害があることが良く分かる。
慣れるまでに時間は掛かりそうだが
全職員あげて、頑張っているところ。


今は、とにかく新年度体制を調える事を第一に
結果として、利用者の福利につながるよう
駆け上がってみようと思っている所存でございます。


時々、くじけそうになって
すべてブン投げて逃げたい時も多々あるけど、
その辺は、今では趣味と化したスポーツでなんとかカバーしています。

仕事のほかに
生活の中や、趣味の範囲で
また別の目標があることはいい事なのかもしれません。



現在の、不安定な社会の中、
おそらく生活困難に陥る人がこれまで以上に増えるでしょう。
生活困窮は、悲しくも虐待や搾取・人権侵害
考えたくはないが、そういった事へつながっていく傾向がある。

高級志向の施設が増えたって、
高額な自費サービスが増えたって
フォーマルなサービス利用さえままならない人が増加する中、
介護の社会化・保険料を課した平等などと言って、
福祉の世界も、格差が広がる。


どんな状況にあっても
意欲を引き出す

向かうところは、
今日よりも明日、ほんの少しでも幸せでありますように。





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posted by 木下 小櫻 at 00:45 | Comment(0) | 仕事の話

2009年02月13日

ルーツ

いつも思う事なのだが
その人のルーツを誰も知らない・本人も忘れている場合、
何かを探し当てたり、思い返すこと、
一緒に回想する事って出来るのだろうか?

漠然となのだが、昔からそんな事を思っていた。

・・・・・そしたら、いた。

誰も、その利用者の生まれ育ち、出身地、経緯
そういったものを身近な人すべてが判らない。

アセスメントの段階で、私たちはその人の生活暦を聞く。
どんな人であるのか、どんな事を大事にしてきたのか
どんな背景を持った人なのか
ただ、むやみやたらに聞くのではない。
少しでも、その人に近づく事が出来るように伺うのだ。

その方は、かなり進行した認知症である。
発症はだいぶ前であったようだが、適切な診断も治療も何もしないできたらしい。
虐待がらみで、関わる事になった。
利用者と血縁にあたる人は、この世には現在存在しない。
義理の家族と住む利用者は、適切とは言い難い環境の中、認知症であることが幸いと出たと言っては失礼だが、にこやかに対応してくださった。
商売をしてきたらしい・・・・・という、はっきりしない情報の中、
対人関係はとりあえず保て、むしろお手の物のようだった。

出身に関することを伺う。
現代の世の中では、決して一般的とは言えない生活暦を聴く。
義理の親族たちは、
「え?そうだったの?」
「いや、聴いた事ない。」
首を傾げる。
そういえば、どんな人で、どんな人生を歩んできたのかなんて聞いた事がない・・・・・と。

漠然と不安だった事が、目の前にあった。

アセスメントとは
利用者を理解するためのツールであって、すべて聞き取る事も知る必要もないと、私個人は思っている。
これまで、アセスメント表を埋めきらなくてはいけないとは思ってこなかった。
ところが、最近はアセスメントがとても重要視される。
その理由は、非常に良く理解できる。
適切なアセスメントがあってこその、マネジメント。
確かに、まったく持ってそのとおりだと思う。

でも、そのアセスメントがすべて埋まらなくては
利用者を理解する事は出来ないのだろうか?

思うことは、そうではないのではないか・・・・・と、言う事。

情報が欠けていても、私たちはプロであって
その方に寄り添って歩いていく。
その表情や言動から、何かを理解しようとする。
新しく築いていく関係もある。


はっきりした情報がない利用者。
なんとなく、自分にも共通するものも感じる。

「え?こんな事も把握していないんですか?」
なんて、事業者さんから聞かれることもある。
でも、アセスメントって、事業者さんも直接、利用者から聴取すべき事ではないのだろうか?
立場や視点が変われば、違う何かが見えるかもしれない。

ケアマネさんからの情報だけで、利用者からは聞きません。」
そう堂々と言う事業者もある。
理由としては、何度も同じ事を聴かれるのは大変だろうから、とか
契約にかかる時間を短縮したいから、とか

それは、どうなのかな?と、思う。


いづれにしても、
ルーツがはっきりしない利用者がいて、
私はその人と、ドコに歩いていくのか・・・・・

個人的に、正念場です。






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posted by 木下 小櫻 at 00:52 | Comment(0) | 認知症

2009年02月08日

知人紹介のケースの困難

多少なりとも、知っている人を介した虐待ケースほど辛いものはない。

虐待である認識を当事者に理解してもらう事も
保護するにせよ、在宅生活を立て直すにせよ
おそらく環境が認知症を悪化させている事にせよ
近く、利用者となるであろうその人を守る事にせよ

何にしろ、まったく知らない人であってくれる方が
同じ対応をとっても、まだいい・・・・・と、思う。

依頼の情報を聞いた段階で
たぶん、虐待がらみだと、思った。
実際に相談に行った職員から状況を聞き確信に変わった。

知人紹介であるが故に
虐待じゃなきゃいいな・・・そう思っていた僅かな期待は
案の定、取り去られた。

関係を、契約という形で取る以上
当然、個人情報保護に則って
紹介された知人にも状況の話はしない事になる。
私の方から話をしなくても
仲介しながら、周りからのプレッシャーが掛かるであろう事も
容易に想像ができる。


この不況下において
どうにか保護できるだけの経済的余力のある人はまだいい。
それさえも、儘ならないケースが最近異常なほど多い。

私の担当するケースは
ココ最近、めっきり緊急避難など出来る人は減った。

避難さえも、金がいる。


世界的規模の不況は
一般的な生活さえも困難にさせている。
生活困難は、どこまでも広がって
悲しくも現実的に厳しい状態が続くと
気持ちの上での余裕も無くなる。

なんで、こんなに
辛い目に合う人がたくさんいるのだろう?
より弱い立場の、子供高齢者、何らかの障がいと共に生きる人。

彼らが一概に弱い立場だとは思わない。
強く生きる人もいる。

でも、何かあったときの煽りを受けやすい事も事実。


これから関わる、その紹介されたケース。


私に期待される事は、
きっと、その認知症の利用者をどこかに入所させてくれ。

たぶん、そういう事だろう。

私の立場は、利用者の尊厳と権利を守る事
利用者の意向を貫く事
場合によっては、その生命や心身を守る事。

周囲の人の都合で、利用者の住む場所が変わってはいけない。

その状況によってですが・・・・・


知人が私に期待する事を
私は、裏切る事になるでしょう。

そこに、利用者がいるから。

知人との関係も、維持が困難になるかもしれません。



・・・・・今週は、キツイ仕事になりそうです。





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タグ:虐待
posted by 木下 小櫻 at 23:56 | Comment(0) | 介護支援専門員